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日本の過去を見据える目
アメリカの占領政策を批判的に検証し、天皇と国民の戦争責任を問う
(左から)『戦争の記憶――日本人とドイツ人』(The Wages of Guilt)、『敗北を抱きしめて』(Embracing Defeat)、『昭和天皇』(Hirohito)
日本の現代史を取り上げたアメリカ人の著書が、99年、00年と続けて大きな反響を呼んだ。いずれもピュリツァー賞など権威ある賞に輝き、売れに売れた。日本の歴史をまじめに論じた本にしては、異例の評判だった。
ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(邦訳・岩波書店)とハーバート・ビックスの『昭和天皇』(講談社)が、これほど受けたのはなぜか。一つには、戦後の占領政策と昭和天皇のイメージは「日米合作」でつくり上げられたととらえ、日本の戦後史におけるアメリカの役割を鋭く批判しているからだろう。こうした視点がアメリカの読者の共感を呼んだ。
ともに邦訳は上下2巻の大作になったが、多くの日本人読者も魅了した。ただし、彼らの反応は微妙に分かれた。
敗戦直後の人々の日常を生き生きととらえたダワーの著述は、多くの共感を呼んだ。飢え、虚脱感、ヤミ市、「パンパン」と呼ばれた米兵相手の女性、大ヒットした「りんごの唄」......。ダワーは普通の日本人が占領をどう受け止めたかを温かいまなざしでつづる。
だが、保守的な政府に対しては厳しい目を向ける。ダワーによれば、日本政府はアメリカと共謀して天皇制を維持し、改革を後戻りさせ、占領当初に人々がいだいた希望を裏切った。ダワーはマッカーサーの力を過大評価せず、改革を成功させるために日本人が果たした役割を強調する。日本の読者はこうした視点を、常識的で説得力ある見方だと判断した。
だが天皇観については、人々の意見は分かれた。ダワーとビックスはどちらも天皇制に批判的だ。ダワーはアメリカが昭和天皇を戦争犯罪人として裁くことを避けた経緯を詳述。そして、「現人神」が平和を愛する国民の象徴に変身するために、アメリカが果たした役割を分析している。
タブーを破った黒船効果
ビックスは著作全体を通して、昭和天皇が積極的に政治や軍事に関与していたことを論証する。彼によれば、昭和天皇は「傀儡」でも「お飾り」でもなく、現代日本の国家形成に貢献した人物で、政府首脳とともに戦争責任を問われる立場にある。
天皇は「君臨すれども統治せず」の無力な存在で、軍部が侵略戦争に突き進むのを止められなかった――日米が共同でつくり上げたこうしたイメージを、ビックスは最大の標的としている。そして、昭和天皇を一人の人間として描こうとしている。
伝記の通例で、歴史の展開が天皇中心になりすぎているため、保守派にはただの天皇批判とみなされかねない。だがビックスは、戦前の意思決定機構がいかに複雑で、その複雑な機構に天皇がどう関与したかをはっきりと示した。
ダワーもビックスも、60年代にベトナム反戦運動の洗礼を受け、傍若無人に他国に介入するアメリカの外交政策を糾弾した世代だ。ダワーは自国の帝国主義的な利害のために日本の戦後民主主義を骨抜きにしたアメリカを批判し、日本国民の揺るぎない平和主義を評価する。ビックスは、天皇に戦争責任はなく、日本はアメリカの指導下で平和な民主国家になったという日米合作の「正史」の虚構性を暴こうとしている。
日本では、この2冊は「外国人でなければ書けなかった」と言われることが多い。アメリカの批評家は「センセーショナル」で「衝撃的」なビックスの著書は、日本では出版されないだろうと予想していた。しかし、タブーを打ち破った天皇像は、日本で意外にも高く評価された。これも一つの「黒船」効果だろうか。
だとすれば、ペリーの黒船のように、この黒船もアメリカから来る運命にあった。ヨーロッパやオーストラリアの戦前・戦中世代、中国や朝鮮半島、アジア各国ではほぼ全世代が、ビックスの描く天皇像に驚きはしないだろう。彼らは以前から昭和天皇は専制君主で、戦争犯罪の権化とみなしていた。彼らからすれば、ビックスの描く天皇はソフトすぎるくらいだ。