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世界が見た日本政治
政権交代をかけた総選挙が迫っている 混迷するニッポン政治の出口は
改革のライオンになれなかった男
レーガンの後の父ブッシュのように、安倍は小泉を次ぐにはあまりにも力不足だった
カリスマの影で 小泉(左)と違い、安倍にはリーダーシップも政治戦略もなかった Eriko Sugita-Reuters
小泉純一郎のまねは、なかなかできるものじゃない。
自らをライオンになぞらえ、物事をシンプルかつ率直に語る小泉前首相は、自民党の派閥政治を破壊し、戦後3番目の長期政権を実現した。バブル崩壊後に低迷していた日本経済の「失われた10年」に終止符を打ち、金融システムを強化し、どこに続くかわからない道路や橋を建設する「土建国家」を変えた。しかも、これらを自らの権力の源泉である有権者の目を意識しながら実行した。昨年首相の座から退くと、小泉の抜けた穴は大きいと多くの人が感じた。
そして先週、後継者の安倍晋三はその穴を埋めるほどの力量がなかったことを世界に証明した。
現代政治において、後継者が前任者ほどの業績を残せないことは珍しくはない。今の日本に最もよく似ているのは、90年代初めのアメリカだろう。多くの点で、小泉と安倍の関係は故ロナルド・レーガン大統領と後任のジョージ・H・W・ブッシュ元大統領の関係に似ている。つまり、偉大な指導者と力量不足の後釜、という関係だ。
政策に賛否両論はあったにしろ、レーガンはアメリカが直面する課題を明快かつドラマチックな言葉で表現する能力に恵まれ、「偉大なるコミュニケーター」と呼ばれた。92年の大統領選でビル・クリントンに再選を阻まれたブッシュは、「ビジョンとかいうもの」のせいだと語った。自分には壮大な目標を掲げて国民を鼓舞する力がなかった、ということだ。
その言葉は、今の安倍にそっくりあてはまる。日本がかかえる問題を単刀直入に指摘して国民に「痛みを伴う改革」に耐えることを求めた小泉と違って、安倍は聴衆を感動させたり国民の心を動かすことができなかった。次世代のリーダーと期待されてさっそうと登場した安倍はわずか1年で、お世辞にもまとまりがあるとは言えない支離滅裂な野党・民主党に大敗を喫するまでに落ちぶれた。
もっとも、安倍が自滅した理由は一つではない。閣僚の相次ぐ不祥事や「美しい国」「再チャレンジ」といった意味不明で具体性に欠けるキャッチコピー、実感のできない景気回復、そして国民よりもアメリカの目を意識したテロ特措法をめぐる発言----。
だが本当の問題はこうした政策そのものではなく、それらを有権者が理解し、支持できるようなビジョンへと結びつけることができなかったことだ。
安倍が入院して国民の前から姿を消す前にも、「小泉チルドレン」と呼ばれる新人議員たちは早々と小泉の再登板を求めて動きはじめた。議員生命に危機を感じた利己的な動機があったにしても、彼らの行動は重要なポイントを突いている。
小泉自身が無理だとしても、次期首相には小泉と同じようなスケールの人間がなるべき、ということ。つまり、自民党内の派閥力学を抑え込み、日本にとって最も重要な国益を見定め、92年にクリントンが語った名言「問題は経済だ、愚か者め」を心得ている人物だ。
これらのすべてを満たすことのむずかしさは、小泉が首相に就任した当時と変わらない。日本経済は「失われた10年」の後遺症から、今も本領を発揮しきれていない。伸び悩む個人消費や増え続ける国の借金、福祉のさらなる拡充を求める少子高齢化社会といった問題は今も残っている。
回復基調を続けてきた経済への楽観的な空気もしぼみつつある。小泉政権による金融改革で日経平均株価は大幅に上昇してきたが、今は07年の最高値と比べると8%下落している。もちろん、背景にはアメリカのサブプライムローン(信用度の低い個人向け住宅融資)の焦げつきによる世界的な信用収縮もある。だが外国人投資家が、今の日本に改革が見込めなくなったと評価しはじめた点も見逃せない。
実際、安倍の辞任表明を受け、小泉政権で始まった構造改革に終止符が打たれたとみなした外国人アナリストは多い。金融情報サイトのファイナンスアジア・ドット・コムは先週、「日本の復活は終わったのか?」との見出しを掲げたが、この問いに「イエス」と答える観測筋が増えている。
こうした悲観的な見方が正しいとはまだ言いきれない。だが次期首相に大きなプレッシャーがのしかかることは確かだ。なにしろ、日本にとって最も差し迫って必要な改革は平均的な世帯に痛みを伴うものが多い。その意味では、次期首相候補に名乗りを上げた自民党の麻生太郎幹事長が、財政の健全化と社会保障の財源確保のために増税を公言している点は注目に値する。