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「ソ連」から移り住んだイスラエルで、海辺を撮り続ける理由
From Alexander Bronfer @bronfer
<紛争の国イスラエルで、撮る写真の大半は死海やテルアビブの海。本職はエンジニアだというアレクサンダー・ブロンファーの写真には「raw」的要素が備わっている>
「raw」――生の、あるいは偽りがなく本質的な、という意味だ。フォトドキュメンタリーや他のさまざまなアート分野で、この言葉は大きな意味を持つ。「raw」的なものが備わっていれば、作品のテクニカルな面など簡単に凌駕できるからだ。それだけで力強い、特別な魅力を放つことができる。
今回取り上げる写真家も、作品にそんな「raw」的要素を備えている1人である。ウクライナで生まれ育ち、その後、人生の半分近くをイスラエルで暮らしてきた54歳のアレクサンダー・ブロンファーだ。
イスラエルの都市で精力的にストリートフォトグラフィーも撮っているが、ブロンファーの真髄は、彼が心地よく感じる場所と言う「海辺」に現れている。死海やテルアビブの海沿いでのビーチライフである。海辺の美しさと静けさに惹かれ、それを写真で切り取りたい、と彼は話す。
だが、美しさや静けさは、彼の作品が放っている表面的な魅力に過ぎない。本当の魅力は、海辺の日常性の中にある、非日常的な何かだ。そこで生活する人々や、その空間にしばしば本質的につきまとっている、現実離れした不可思議な生活感である。そうした「raw」の人間的要素が、(無意識にかもしれないが)彼の作品には絶妙に織り込まれている。
「Sodom(ソドム)」と名付けらけた死海のシリーズには、特にその傾向が見られる。とはいえ、海辺を美しさと静けさの源と見なしている彼が、退廃と背徳の象徴である旧約聖書の街の名をシリーズのタイトルに使ったのはなぜなのか。不思議に思い、その理由を訊くと、こんな答えが返ってきた。
「それは、死海の中に佇んでいた美しい女性から始まった。その光景はあまりにも素敵で、私は近付いて彼女に話しかけた。だが、彼女はぐでんぐでんに酔っていて、話すことすらできなかった」
そうした相反するかのようなショッキングな差異を経験したことが、死海のプロジェクトをソドムと名付けた理由の1つになっているという。ちなみに、ソドムは死海周辺にあったとされている。
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