コラム

野田新首相を待ち受けるハワイAPECの罠とは?

2011年08月31日(水)11時59分

 私の住むニュージャージーでは、ハリケーン「アイリーン」で甚大な被害が出て、未だに増水の続く河川の下流では、新規に全町民の避難が発動されたり混乱が続いています。北部のバーモント州の被害も大変に深刻です。そんな中、電気とケーブルネットが寸断されて、情報収集に手間取るうちに、日本では野田佳彦氏が新首相に選出されており、私は少々面食らいました。

 それはともかく、新首相のこの秋の外交日程、とりわけ日米首脳会談については、事前にかなりの部分が決まっています。まず、9月下旬の国連総会(ニューヨーク)への出席に際して、ワシントンに寄るなり、ニューヨークで会うなりしてオバマとの首脳会談があるようですし、11月下旬にはハワイでのAPECがあります。ここでも日米首脳会談があるでしょう。

 日米の首脳外交ということですと、「震災直後のトモダチ作戦への感謝」「沖縄の普天間基地移設問題」「世界の金融不安と円高問題」「中国の南シナ海、東シナ海での活動活発化への対処」「北朝鮮の軟化兆候に対してソフトなメッセージを送ることの是非」などがあると思います。ですが、こうした話題に関しては、話を持っていく方向性に選択肢はほとんどないと言っていいでしょう。

 トモダチ作戦に関しては、外交儀礼として謝意を述べる以上でも以下でもないでしょうし、普天間の問題は仮に野田氏が「辺野古沖移設のディール堅守」などと言っても沖縄の世論から浮くような話ではアメリカは信用しないでしょう。円高については日米が相互の立場を理解するという談話を出す程度で、為替レートを動かすような話にはならないと思います。中国に関しても、粛々と軍の透明性を要求するなど現行路線の堅持が中心になると思います。この中では、北朝鮮に関しては多少は調整が必要で、北朝鮮の外交姿勢に軟化の兆候がある中で、国際社会もそれを受け入れる方向性について慎重な「すり合わせ」が必要になるかもしれません。

 そんなわけで、新首相として内外にアピールして得点を稼ぐようなチャンスは、この秋の首脳外交では難しそうです。その反対に、外交ということでは、大きな罠が待ち受けています。それは11月下旬のハワイAPECです。

 どうして、オバマはこの11月にハワイにAPECを誘致したのか、そこにはいくつかの意味があります。まず再選を目指す2012年の大統領選まで1年を切った時点で、出身地のハワイに「錦を飾る」という意味合いがあります。また、中国に対してハワイAPECを行うことで、西半分を含む太平洋は軍事的にはアメリカの海であるという力の誇示が可能になるということもあるでしょう。

 これに加えて、このAPECですが、今年2011年というのは「真珠湾攻撃70周年」に当たるわけで、現時点ではアナウンスはありませんが、その「70周年」の直前に行われるAPECでは、「戦艦アリゾナ」での首脳による集団献花という「イベント」が行われる可能性が濃厚です。

 この首脳献花というイベントが大々的に行われるようですと、これは問題です。まず歴代の日本の内閣総理大臣は、戦艦アリゾナで献花をしていません。また昭和天皇も、今上天皇も天皇としてはその機会がありませんでした。ということは、日本国の代表として「日米の重要な和解・ケジメの儀式」であるべき初のアリゾナ献花を、胡錦濤やメドベージェフと一緒に行うという屈辱を受けることになるのです。

 そうなれば、APEC参加各国の首脳中、野田首相だけが第二次大戦の戦敗国代表としてポツンと戦勝国代表の中で献花することになります。そのような屈辱を受けてしまっては、「大戦の犠牲の代償」であると堂々と領土を奪っているロシアの論理、もしかするとそのロジックを借用するかもしれない中国などの言い分に対して反論ができなくなります。これは、巨大な外交失点になります。新首相を待ち受けている罠と言ってもいいでしょう。

 これに対する方策は1つあります。ジャーナリストの松尾文夫氏がかねてより主張しておられる「日米のケジメ」をまずつけるのです。具体的には9月に野田=オバマならびに実務当局で良く打ち合わせをしておいて、11月のAPECにおける「首脳献花」のセレモニーの前に、太平洋の戦争を戦った当事者である日米の和解の儀式、歴史へのケジメの儀式として野田、オバマに加えて、双方の外務・防衛大臣、そして米軍のトップである統合参謀本部議長と自衛隊の制服組のトップである統合幕僚長なども列席して、アリゾナ慰霊祭を行うのです。

 日米両国政府としては、近い将来に合衆国大統領が広島、長崎献花を行うという「相互性」の含みも同時に追求すると同時に、特に日本側の野田首相は、改めて日米における軍民の膨大な犠牲への追悼スピーチを行うべきです。そうしたケジメの儀式を済ませ、そのスピーチの質によって日米の同盟がマキャベリズムではなく、価値観の共有や対等な相互の尊敬心から発し、根ざしていることを訴えることができれば、もう何も恐れることはありません。

 その後であれば同じアリゾナ艦の文字通りの「水棺」上で、胡錦濤やメドベージェフ以下、各国首脳が集団献花をする際に、野田首相が参加していても問題はありません。何故なら、過去の清算はオバマとの日米のケジメで終わっているからです。首脳献花は、日本の過去を改めて問う場でなく、国連加盟国、APEC加盟国としての歴史上の悲劇の犠牲者への粛々とした追悼の儀式に変わります。そこに参加することで、外交上のマイナスを背負うことにはならないのです。

 野田首相は自身を「ドジョウ」に例えて、低姿勢でのコミュニケーションを心がけているのだそうです。国内的にはそれはそれで有効な「攻撃姿勢」なのかもしれませんが、国際社会では通用しません。アリゾナ艦上で中ロの首脳を含めた中で、一人だけ「低姿勢」を取らされるような局面があってはならないと思います。国家の威信というのは、そのような形で失われることがあるのです。日米二国間のケジメを首脳の集団献花に先行させる、そのことを真剣に検討する場として、まず9月の下旬の首脳外交を成功させてもらいたいと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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