コラム

「国内雇用」を守るために有効な政策はあるのか?

2010年09月03日(金)11時37分

 小沢一郎氏と菅直人氏の間で戦われている民主党の代表選は、よく見てみると対立軸があるようです。菅首相が外需も含めた日本の競争力維持を訴えているのに対して、小沢氏は内需中心の経済を指向(と主張)している点、菅首相が財政規律を意識しているのに対して、小沢氏は依然として財政出動に期待している点などには、明確なコントラストがあるようです。

 中でも注目して良いのは、菅首相の陣営が「雇用」を優先課題に打ち出したことだと思います。過去50年の日本では、好景気に沸いた高度成長・安定成長・バブルの時代も、その後の「失われた20年」も、政権がハッキリと国内雇用を守るという姿勢を取ったことはなかったからです。そこには明確な理由が3点ありました。

 1つは、外需依存の貿易立国を貫くには自由貿易の建前は崩せなかったという点です。少なくとも農業は保護主義でしたが、農業を守るためにも工業製品の通商に関しては、ここ50年の日本という国は、保護主義は「カケラ」も見せなかったと言って良
いでしょう。それどころか、「貿易摩擦」緩和のための米国への生産拠点移転や「日中友好」のための中国への技術移転など「国内雇用を犠牲にする」政策が、霞が関と永田町の主導で行われたと言っても過言ではないでしょう。

 2つめは、正社員の雇用は守られるという労働慣行は誰も疑わなかったからです。経済紙を読み、ビジネス書を買ったりして「経済政策」の世論をそれなりに形成する層は、この時期はほとんどが正社員であり、自身の雇用は安泰であることを信じて疑わないことが許される時代でした。また、有期雇用の労働力には家計の一部を支えることしか期待されなかった時代でもありました。

 3つめは、それでも日本経済は回っていたからです。中付加価値品の生産拠点を米国などの消費地や、中国などの低労働コストの土地へ移転しても、次から次へ新しい付加価値商品を生み出すことでは国内生産でも十分に競争力があったからです。

 ですが、2番目と3番目の要素は消えてゆこうとしています。そんな中、1つめの問題はまだ残っていますが、それでも、そうした建前をかなぐり捨ててでも「国内雇用」を守るという政策を打ち出さねばならない状況になったのは間違いないと思います。そして、今現在特に国内雇用が最大の政治的な課題になっているアメリカから見ていると、そのことは大変に自然に思えるのです。

 では、具体的に国内雇用を守る政策というのは可能なのでしょうか? 例えば、国内の労働コストが高くなるような規制をすれば生産拠点はどんどん海外に流出するでしょうし、日本の本社に海外の生産拠点から利益を吸い上げる仕組みに規制をかければ、本社機能も海外に出ていってしまうでしょう。例えば、このままデフレとリストラが進んで、日本の賃金水準がアジアの平均ぐらいまで下がれば競争力が戻るという議論もありますが、そんなマイナスの思考は「政策」ではありません。そんな形で雇用を守っても人間や社会はそんなに後ろ向きの話には耐えられないと思います。

 では、内需で経済が支えられるかというと、中国のように社会インフラの改善ニーズ、個々人の消費生活の改善意欲があり、人口という規模が掛け算で効いてくる市場では、内需という形でカネがどんどん回るということはあると思います。ですが、日本の場合は「カネを使う場所」が乏しい中で先行き不安もあり「国内消費や国内の公共投資などの内需が牽引」する形で経済が立ち直るというのは難しいと思います。それに内需の大部分が外需のための産業の裾野であり、また外需のカネが回る形で動くということも無視できません。

 ですからどうしても、外需を活性化しなくてはなりません。とりわけ、エネルギーと原材料、食料を輸入に依存している日本の場合は、日々のキャッシュフローとしての外貨獲得は生命線です。その外需という点で言えば、現在、中付加価値大量生産品の競争力には期待できない中で、雇用を守るためには「より高付加価値の産業」にシフトするしかありません。そこで、問題になるのが米国型の知識集約型産業、つまり高度なコンピュータソフト、金融工学、宇宙航空、医療機器・医薬品開発などの分野でのエリートを大量育成する一方で、そのエリートが稼ぐカネをサービス業などで全国にグルグル回すというモデルを採用するかどうかです。こうした政策は勿論進めるべきです。ですが、そうしたグローバル人材の育成には時間がかかります。その前に経済が大破綻してしまってはどうしようもありません。

 では、どうしたらいいのか? 私は、今日本で何らかのミスマッチを起こしている技術や人材を活用して、競争力を取り戻すには「高付加価値」でも「中付加価値」でもない「中の上付加価値」を狙うべきだと思うのです。「中の上」とは何でしょう? それは既存の製品に付加価値を乗せて競争力を高める戦略です。携帯が日本でガラパゴス化しているのなら、同じように北米や欧州向け、ロシア向け、中国向けにそれぞれの文化やコミュニケーション習慣を熟知した上で、それぞれのマーケットの「ガラパゴス進化」に最適化した「中の上付加価値」を乗せてゆくのです。

 自動車しかり、特にエコカーについてはそれぞれの市場の運転パターンや社会の価値観を反映した規制を受けて、製品に味を乗せてゆかねばなりません。この分野では、画一的な「世界戦略車」が有効な部分と、各市場に特化した部分との切り分けに成功すれば、世界市場を席巻することも可能でしょう。食の安全が懸念される中、例えば全世界相手の調味料や一部の加工食品は全部日本が引き受ける、しかも市場別の「ガラパゴス進化」も乗せてということもあり得ると思います。デザインはともかく機能性衣料なら日本製とか、他の文化圏に最適化さえすれば、売ってゆけるモノはたくさんあるように思うのです。現在の為替レートを考えると、必要な海外の企業を買ってゆくチャンスもまだあると言えるでしょう。

 そうした「中の上」が上手く行くためには、エリートレベルのグローバル人材でなくてもいいから、どんどん若い人を海外に出すこと、そして民間にカネが回るようにすることが重要です。また職種としては、開発よりも国際的なマーケティングや営業が大事になるでしょう。改めて世界に日本製品を売って行って、その注文をベースに国内での生産体制と雇用を再建するということになります。政策論としては、少なくとも税制や労働政策と高等教育はこうした戦略と整合性を取って、経済活動を支援することは可能だと思うのです。後は、余りにもお人好しに生産技術を他国に移転するのは、この辺りで何らかのブレーキを掛ける必要があるようにも思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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