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冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代
タングルウッド音楽祭に残る小澤征爾の存在感
小澤征爾氏がボストン交響楽団の音楽監督を辞任して、ウィーン国立歌劇場に転出したのが2002年で、これ以降はタングルウッド音楽祭からも小澤氏は遠ざかっています。タングルウッドというのは、ボストンからマサチューセッツ州を西に横断したNY州境に近い高原にある野外音楽施設で、ボストン響は毎年夏にはここを本拠地として音楽祭を繰り広げているのです。
とにかく、タングルウッドといえば「オザワ」という結びつきは強いものがあります。例えば小澤氏のお嬢さんである小澤征良さんのエッセイ『おわらない夏』などを読むと、一層その思いが強くなるのを感じます。この高原で毎夏小澤氏の過ごした時間、そして多くの人を楽しませた音楽の余韻が感じられるからです。
そのタングルウッド音楽祭は今も健在です。小澤氏の退任後、後継の音楽監督に就任したジェイムズ・レヴァイン氏の下で、今年もちゃんと開催されています。そのオープニングコンサートを聞く機会があったのですが、コンサートは満員御礼の盛況で、「シェイド」と呼ばれる屋根付きの客席だけでなく、有名な芝生席も大勢の人で埋まっていました。
指揮はもちろん音楽監督のレヴァイン氏、演目はオール・チャイコフスキー・プログラムと銘打って「チャイコの6番の交響曲(悲愴)」と「ピアノ協奏曲第1番」でした。この誰でも知っている、超ミーハーな曲の組み合わせというのには驚きましたが、後にその理由が分かりました。
伝統あるタングルウッド音楽祭のオープニングが、どうして「オール・チャイコフスキー」なのか? それは実際のコンサートを聴いてみるとすぐに分かりました。というのは、全ての楽章の切れ目で大拍手が起きたのです。シンフォニーの1楽章が終わる毎に、コンチェルトも1楽章ごとに万雷の拍手、いやそれどころか「ブラス中心の派手なマーチ」であるシンフォニーの第3楽章、ピアニストの華麗なテクニックの聴かせ所の多いコンチェルトの第1楽章が終わったときには総立ちに近い状態になったのです。
これはヨーロッパや日本では、あるいはアメリカでも通常の定期公演などでは完全にマナー違反です。特に交響曲の6番では、最終の終楽章が悲痛なアダージョになっており、この曲を愛好する人はその直前に野蛮な拍手など聞かされては激怒する人もあるのではないでしょうか? 実際にレヴァイン氏も、ピアニストのヤヒム・ブロンフマン氏も「曲の途中の拍手」に戸惑っていたのは明らかでした。
ですが、二人はそれを許容したのです。ブロンフマン氏に至っては、1楽章が終わったところで鳴りやまない拍手に対して「ちょこん」と立ってお辞儀をするというサービスまでしていました。そうなのです。このタングルウッド音楽祭というのは「音楽マニアの祭典」ではないのです。クラシック音楽に全くなじみのない聴衆にも楽しんでもらおう、そのために高原の非日常的な空間を作り上げ、様々な努力をしてお客を呼び込んでいるのです。
確かにこの音楽祭会場には、洒落た食事のコーナーがあり、ワインを持ち込んでピクニック形式のパーティーと「しゃれ込む」人々がいました。また会場の周辺には豪華な民宿(ベッド・アンド・ブレックファスト)があって、泊まりがけで音楽祭を楽しむこともできるのです。そうしたセッティングを考えると、いかにも音楽好きのファンが集まってくる場所のようにも思えます。ですが、思い思いに楽しんでいる聴衆の多くは「シンフォニーやコンチェルトの途中で拍手してしまう」素人であり、そしてそのような聴衆を前提としているからこその「オール・チャイコフスキー・プログラム」なのでした。
勿論、この日が初日であったことも大きな要素で、とりわけスポンサー筋の「お付き合い」や「音楽よりワインと社交」という人が多かったのだと思います。音楽祭が進むにつれて、ストラビンスキーとかマーラーなど、もっと本格的なプログラムも用意されており、そうした演目の日にはまた違った種類の聴衆が集まるのだと思います。ですが、この初日に限って言えば、聴衆全体として「クラシックのコンサートに慣れていない」度合いは相当なものでした。
そうであっても、音楽には一切手を抜かない姿勢、そこに音楽を愛し、その愛する音楽を本気で大勢の人々に紹介してゆこうという「真の啓蒙家」としての小澤スピリットを感じたのは私だけではないと思います。1楽章が終わったところで、スタンディングオベーションをしてしまうアメリカ人をバカにするのは簡単です。ですが、そうした人々を招き入れ、ホンモノの音楽を聴かせ、長い時間をかけて音楽ファンを育ててゆくという姿勢は、だれにでも持てるものではないと思います。
その晩のコンサートでも、音楽の魔術は随所に堪能できました。特に「チャイ6」の終楽章は、いかにもレヴァイン氏らしい「スローなテンポを取りながら音楽が崩れることなく、活き活きと進んでゆく」魔法のような時間が流れていましたし、そんなレヴァイン氏のスタイルに合わせるように、ブロンフマン氏のピアノも(時にはピアノをぶっ叩くような「爆演」を聴かせることもある人ですが)たいへんにエレガントで、立派なチャイコになっていました。
小澤氏の芸術について、東洋と西洋の文化の葛藤から生まれたものであるとか、日本の狭い世界から飛び出す中で得たエネルギーの成果だとか、あるいは逆にたいへんな手間暇をかけて独自の解釈を設計していった努力の成果、というような評価を良く聞きます。ですが、これに加えて「全くの素人である聴衆」に対して「誠心誠意ホンモノの音楽を届けてゆく」ことを通じて「人々への」そして「音楽への」大きな愛情を注ぎ続けたという面も無視できないと思います。そのスピリットは今も尚、タングルウッドの地にしっかりと根付いているのです。
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