コラム

学校で起きた小さな事件が、社会システムの欠点を暴き出す『ありふれた教室』

2024年05月16日(木)18時49分

苛立ちを抑えられないカーラは、隠し撮りという手段に出てしまう。財布を入れたままの上着を椅子にかけて席を離れ、ノートパソコンのカメラで決定的な瞬間を撮影しようとしたのだ。その後も彼女は、動画をめぐって安易な行動をとるが、そこに話を進める前に、オストルンドの作品をもう一本、思い出しておく必要がある。

それは、もっと古い作品『インボランタリー』(2008)だ。同調圧力をめぐる5つの物語で構成された作品だが、注目したいのは、とある小学校を舞台にした女性教師の物語だ。彼女は、同僚の男性教師が生徒に体罰を加えていることに気づき、行動を起こすのだが、その前に見逃せないエピソードが盛り込まれている。

女性教師は、心理学者ソロモン・アッシュの古典的な実験を思わせる実験を授業で行う。ひとりの生徒に長さの違う2本の線が描かれたパネルを見せ、どちらが長いかを答えさせる。その後で、実はサクラである他の生徒たちがそろって短いほうの線を選ぶ。それを繰り返すと、最初に答える生徒も短い線を選ばざるをえなくなる。

そんなエピソードの後で、女性教師は、生徒に体罰を加えている教師に対して抗議の声を上げるが、逆に周囲から彼女に問題があるかのように見られてしまう。観客は、同調圧力の実験を意識しつつ、そんなドラマを見ることになる。

さらに複雑にした仕掛け

本作には、それをさらに複雑にしたような仕掛けがある。ポイントになるのは、カーラが教える数学の授業だ。彼女が生徒たちに出すのは、小数点以下にずっと9が続く0.999...は1と同じかという問題だ。

最初に指名された女の子は、引き算を使って、ふたつが違うという答えを導く。するとカーラは、他の生徒たちにその答えが「主張」か「証明」なのかを尋ねる。女の子の答えは、証明ではなく主張になる。

次に指名されたオスカーは、分数を使う。0.111...は1/9と同じで、9×1/9=1だから、0.999...=1になる。それは、分数を使った証明だ。これに対して、「隙間がある」といって納得できない生徒もいるが、カーラは、「証明で大事なのは1つ1つ導き出していくことよ、それを学ぶの」と説明する。

ここでオスカーという名前を明記したのは、彼が、やがてカーラと盗難をめぐって対立する事務員クーンの息子で、鍵を握る人物になっていくからだ。カーラは数学ができるオスカーにルービックキューブを貸し、アルゴリズムについて、ある問題を解くための手順のことだと説明する。

「主張」と「証明」が意識され、対置されていく

こうして本作のドラマでは、「主張」と「証明」が意識され、対置されていく。たとえば、カーラはテスト中に、ひとりの生徒からカンニングペーパーを取り上げる。生徒は自分のものではないと主張する。だがカーラは、カンペの間違った答えがそのまま答案用紙に写されていることを指摘し、彼のものだと証明する。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

トランプ関税巡る市場の懸念後退 猶予期間設定で発動

ビジネス

米経済に「スタグフレーション」リスク=セントルイス

ビジネス

金、今年10度目の最高値更新 貿易戦争への懸念で安

ビジネス

アトランタ連銀総裁、年内0.5%利下げ予想 広範な
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 5
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 6
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 7
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 8
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 9
    トランプ政権の外圧で「欧州経済は回復」、日本経済…
  • 10
    ロシアは既に窮地にある...西側がなぜか「見て見ぬふ…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 5
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 6
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    週に75分の「早歩き」で寿命は2年延びる...スーパー…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 5
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 6
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 7
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story