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コラム
ニューズウィーク日本版編集部 From the Newsroom
ウィキリークス公電は「水増し」なのか
25万件のアメリカ国務省外交公電の完全公開へ向け突っ走っているウィキリークスとジュリアン・アサンジをめぐって、世界がアンチとシンパに真っ二つに分かれているが、文書の「価値」に対する評価も「重要な情報」とみる支持派と「たいしたことない」とこきおろす批判派に割れている。
文書の価値についてはこれまで支持派が優勢だったが(だからこそ新聞やテレビもニュースとして報じてきた)、批判派に有力な論客が登場した。元外務省主任分析官の佐藤優氏だ。朝日新聞の12月17日朝刊に、佐藤氏に取材した藤えりか記者の「『極秘』水増し外交公電/一方的、事実誤認も」という記事が載っている。
佐藤氏の主張はおおむね次の2点に集約されるだろう。
・公電の中には編集・校閲機能が働いていない、お粗末極まりない水準のものが見受けられる。
・公開情報で出ているようなものを極秘にしているのは明らかに水増し。
ウィキリークスをこころよく思わない既存メディアが佐藤氏を使って反撃に出た――と見出しを見ただけでは思うかもしれないが、外務省で実際に情報と公電を扱っていた佐藤氏の主張には一定の説得力がある。米外交官の公電を「ずさんで水増し」と断じる佐藤氏と真っ向から衝突するのが、ニューズウィークのベテラン記者クリストファー・ディッキー。ディッキーは日本版12月15日号の記事「ウィキリークス本当の爆弾」で次のように書いている。
文書の暴露が始まってから多くの人の関心を集めたのは、外交公電で用いられている直戴な表現の数々だ。国務長官に興味を持ってもらうために、外交官たちは率直で正確な内容を記そうと勤める。
皮肉なのは、今回のウィキリークス騒動で内部文書が暴露された結果、アメリカの外交官たちが極めて有能で十分に役割を果たしている事実が明らかになったことだ。
アメリカの外交官は有能なのか無能なのか。公電に書いてあることは真実なのかでたらめなのか。結論から言うと(身もふたもないが)どちらも正しい。さまざまな側面をもつ対象のどの部分を重視するか、というだけの違いである。そして違いが生じるのは、おそらく「民族性」に原因がある。
筆者が公開された公電を読んだときに最初に受けた印象は「役所の文書らしくない」だった。ディッキーが記事で指摘しているように、外交官たちは上司の目に留まりやすいように、公電の表現にさまざまな工夫を凝らした。カダフィの「『肉感的で金髪の』ウクライナ人美人看護士」もそうだし、プーチンとメドベージェフの「バットマン&ロビン」もそうだが、どれもまるでニューズウィークの英語の記事を読んでいるような、ひとひねり効いた文章になっている。
役所らしくないというよりむしろ、ジャーナリズムに近いと言ったほうがいいかもしれない。まるで記者がデスクに報告する「取材メモ」のようでもある。確かに公電の中には主語が不明瞭で前後で矛盾する記述もあるが、急いで仕上げたメモにはどうしても間違いや文章のおかしな部分が残る。そんな体験は記者なら誰もが一度はしているはずだ。「水増し」は佐藤氏の指摘の通りだが、一方でそれはカテゴライズの問題でしかなく、そもそも「観察眼」重視なら、公電全体の価値にはそれほど影響しない。
アメリカ人記者のディッキーは「観察眼」に重きを置き、日本人外交官の佐藤氏は「正確性」を重視している。真実を伝えるうえで確かにデータは極力正確であるべきだが、「鋭い視点」も本質をつかむのに重要な役割を果たすのは間違いない。正確さを追及する佐藤氏(と日本の外務省)は几帳面に「100%」を目指す日本人の、観察眼を重視するディッキー(とアメリカ国務省)は細部にとらわれず本質に突き進むアメリカ人の思考法をそれぞれ象徴している。
ちなみに日米のジャーナリズムの間にも同じような「違い」が存在すると思う。
――編集部・長岡義博(@nagaoka1969)
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