世界が直面する核の危機──印パ和平を阻む宗教ナショナリズムとは
これに拍車をかけているのが、カーン首相個人の特性だ。
カーン首相は有名な元クリケット選手で、その高い知名度と端正なルックス、そして「政界のアウトサイダー」としてクリーンなイメージで、「90日間で大規模な汚職を撲滅する」といった実現がほとんど不可能な約束を掲げて2018年に最高責任者の座に上り詰めた、いわゆるポピュリストだ。
その大きな方針はイスラームの価値観と現代的な国家を融合させることにあり、イスラーム過激派というより、「イスラーム世界の一部であること」にアイデンティティを見出すナショナリストとみた方がよい。しかし、「イエスは歴史において言及されていない」と述べるなど、イスラーム過激派が喜びそうな発言もしばしばで、タリバンなどへの対応が「ソフト」であるともみなされてきた。
そのカーン首相も、さすがにインドとの全面衝突を避けるため、「和平への意思表示」を示したわけだが、インド軍パイロットの解放には閣僚からも「解放した後でインドが攻撃してくることもある」と異論が出るなど、その基盤は不安定だ。パキスタンの反インド感情の高まりに鑑みれば、ポピュリストのカーン首相にとって、これ以上の譲歩は難しいとみられる。
こうしてみたとき、インドとパキスタンの両首脳は、対立がエスカレートする事態を回避したいと考えていたとしても、自分たちが掲げてきたスローガンと情動的な国内政治に拘束され、そこに向かうのが難しいといえる。言い換えると、合理的な判断が宗教ナショナリズムに絡めとられているのだ。その意味で、インドとパキスタンはナショナリズムとポピュリズムが蔓延る世界が直面する危険を象徴するのである。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。
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筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。他に論文多数。
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