「楽園」モルディブの騒乱―中国、インド、サウジの「インド洋三国志」と小国の「産みの苦しみ」
これまでにも中国とインドの勢力圏争いは表面化しており、もともとモルディブと近い関係にあったインドからみて、中国の「一帯一路」構想はこれを脅かすものです。この背景のもと、中国に傾倒するヤーミン大統領と対立し、英国に亡命中のナシード元大統領は2018年1月22日に訪問先のスリランカで「モルディブの対外債務の80パーセントは中国が握っており、これによって中国は島を奪い取ろうとしている」と批判。インドをはじめ、中国を警戒する国への協力を呼びかけたのです。
ダークホース・サウジアラビア
以上に鑑みると、非常事態を宣言した後、ヤーミン大統領が状況を説明するため中国に特使を派遣した一方、インドには誰も派遣しなかったことは、不思議ではありません。
ただし、ここで注意すべきは、ヤーミン大統領が特使を派遣した国のなかには、中国だけでなくサウジアラビアも含まれていたことです。
モルディブは伝統的にインドの「縄張り」である一方、人口のほぼ100パーセントをムスリムが占めます。聖地メッカを擁するサウジアラビアは厳格な政教一致を説くワッハーブ派を国教とし、神学生の受け入れ、説教師の派遣、モスクの建設などを通じてイスラーム圏への影響力を強めてきました。モルディブに対しても2016年10月に1億5000万ドルの資金協力を行うなど、世界有数の産油国として経済的なアプローチもありますが、サウジの本領はむしろイスラームを通じた影響力の拡大にあります。
英国BBCによると、2014年3月にモルディブを訪問したサウジのサルマン皇太子は、同国に「世界クラスの」モスクを10ヵ所に建設する他、サウジへの留学生のために10万ドルを提供することなどを約束。イスラームを通じたサウジの影響力の強さは、2017年6月のサウジ主導によるカタール断交にモルディブ政府が追随したことからもうかがえます。
イスラーム過激派の台頭
ところが、サウジによる厳格なイスラームの普及は、モルディブの内政にも少なからず影響を及ぼしてきました。
東南アジアやアフリカなどその他の「イスラーム圏の周辺」と同様、もともとモルディブでは土着の聖人崇拝などと結びついた、緩やかなイスラームが主流でした。
しかし、サウジのアプローチが加速するなかで、「イスラーム社会としての純化」を求める動きが活発化。その結果、例えば先述した2010年からのナシード元大統領に対する抗議デモは、当時進められていた、リゾートにおけるアルコール販売などの規制緩和を批判する人々も含まれていました。また、2013年の大統領選挙でヤーミン氏はナシード氏を「反イスラーム的」と非難して排撃するなど、イスラームがこれまで以上に「正統な教義」と位置づけられるようになったのです。
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