薄っぺらで気持ち悪い在日タブーを粉砕した映画『月はどっちに出ている』の功績
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<原作・監督・脚本は全員在日。重いテーマがコメディだからこそ深く刺さる。画期的な作品『月はどっちに出ている』が、邦画の世界にもたらした影響とは?>
新宿梁山泊の公演に通った時期がある。かつて新劇の養成所に所属していた頃の同期の友人で、その後に状況劇場に所属した黒沼弘己が旗揚げのメンバーだったからだ。
その黒沼や代表の金守珍(キム・スジン)、六平(むさか)直政などの顔触れが示すように、旗揚げ時の新宿梁山泊は、状況劇場の分派的な色合いが強かった。でもすぐに独自路線を歩み始める。その原動力の一つが、座付き作家として戯曲を書き続けた鄭義信(チョン・ウィシン)の存在だ。
公演終了後は、テント内で行われる打ち上げにも参加した。焼酎が入った紙コップを手に大きな声でしゃべるウォンシルさんを知ったのはその頃だ。その外見と声で、舞台では極道や暴力的な男の役が多かったウォンシルさんは、最初はちょっと怖かったけれど、実はシャイで人懐っこい男だった。
文学座同期の松田優作に、俺は(在日であることを)カミングアウトしたけれどおまえはしないのか、と言ったことがあるとか、娘が2人いて長女はダウン症だとか、今の生活は配膳会のバイトで支えているとか、切ない話もいろいろ聞いた。でもいつもウォンシルさんは豪快に笑っていた。直情径行。実はデリケート。裏表がない。大好きな人だった。
『月はどっちに出ている』は、そのウォンシルさんのスクリーン・デビュー作だ。原作は梁石日(ヤン・ソギル)で監督は崔洋一。そして脚本は崔と鄭義信だ。全て在日。画期的だ。1993年のキネマ旬報日本映画ベスト・テンで本作は1位となり、監督賞、脚本賞、主演女優賞まで獲得している。
その影響は大きい。この映画以降、行定勲が監督した『GO』や崔洋一の『血と骨』、井筒和幸の『パッチギ!』など、在日を正面から取り上げる作品が増えた。言い換えれば、この少し前の井筒の『ガキ帝国』と共に、それまでの(薄っぺらで根強くて気持ち悪い)在日タブーを、この作品は邦画の世界で粉砕した。
ロバート・アルトマンを彷彿させる長回しから映画は始まる。全編通してトーンはコメディー。だからこそ重いテーマが深々と突き刺さる。
主人公の姜忠男が運転するタクシーに乗った若いサラリーマンは酔っぱらって上機嫌のまま、忠男の名字の「姜(カン)」を、何度訂正しても「ガ」と呼び続ける。つまり名前を呼びながら名前に興味がない。さらに乗り逃げ。帰社した忠男に同僚が言う。「チューさん(忠男)のことが好きだ。朝鮮人は嫌いだけど」
差別と被差別。する側とされる側。集団になったとき、人は振る舞いを変える。相手も個ではなく集団の一部になる。こうして一人一人は無意識で善良なまま人を傷つける。
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