コラム

『嵐電』で堪能する宇宙的時空 「行きつ戻りつ」でシンクロする映画と人生

2021年06月04日(金)18時05分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<人を選ぶ映画であることは否定しない。テレビ放送や配信に向いている作品でもない。でもじっとスクリーンを見つめ続ければ、映画の中の時間が自分の過ごしてきた人生と重なる>

『嵐電』のストーリーや概要を記すことは難しい。というかほとんど意味がない。特にストーリーは。だって明確な起承転結はない。

観ながら思う。おそらくテーマは時間だ。行きつ戻りつするのは過去と現在。でもその繰り返しを眺めるうちに、いつの間にか未来に来ていることに気付く。

僕は学生時代に自主製作映画に夢中になり、卒業後はテレビ業界で仕事をして、そしてまたいま映画の仕事をしているだけに、テレビと映画の違いは何だろうと時おり考える。DVDが普及して配信で映画を観ることが当たり前になり、さらにコロナ禍で劇場やライブハウスやミニシアターの存在意義が問われている今だからこそ、映画と映画館の意味について考える。

まずは大きなスクリーン。そして暗闇。さらに(暗くてよく分からないけれど)周囲に座っている多くの(見知らぬ)人たちの気配。

この3つが映画館のアイデンティティーだ。観る側が抱く映画へのアイデンティティーと言ってもいい。テレビや配信などと比べて明らかな相違は、観ることを途中で中断できない、録画して確認することができない、誰かとしゃべったり笑ったりしながら観ることができない、の3つだろう。いわば3つの禁則。あるいは制限。つまり映画は不自由なのだ。

だからこそ集中する。料金はもう払ってしまった。元は取りたい。今はまだつまらないけれど、これから面白くなるかもしれない。伏線を見逃しては訳が分からなくなる。

闇で僕たちは目を凝らす。必死にスクリーンを見つめる。時おり誰かの吐息や抑えた笑い声が聞こえる。こうして映画的空間が立ち上がる。

少なくとも『嵐電』は、テレビ放送や配信に向いている作品ではない。劇場で観るべき映画だ。怪獣や宇宙人は出てこないし(妖怪はちょっと出てくる)、銃撃シーンがあるわけでもないし、謎解きやサスペンス要素があるわけでもない。でもじっとスクリーンを見つめ続けることで、映画の中の時間の行きつ戻りつが、自分の過ごしてきた人生の行きつ戻りつと、きっとシンクロする。

舞台は古都・京都。過去と現在と未来が薄い闇で混然と重なり合うあやかしの街。メインは3組の男女。さまざまな愛の形があり、さまざまな愛の残滓がある。8ミリフィルムの質感が喚起するノスタルジーのフレームに、いきなりきしみ音を立てながら侵入してくる嵐電の車両。だからこそスクリーンを見つめながら、スクリーンの左右の世界を想起したくなる。映画を撮影する状況を撮影するというメタでマトリョーシカ的空間が、限定されたスクリーンから上下左右に広がってゆく。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米2月総合PMI、1年5カ月ぶり低水準 トランプ政

ワールド

ロシア、ウクライナ復興に凍結資産活用で合意も 和平

ビジネス

AIが投資家の反応加速、政策伝達への影響不明=ジェ

ワールド

不法移民3.8万人強制送還、トランプ氏就任から1カ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story