コラム

エンターテインメント空間化する中国のEV

2023年03月07日(火)17時44分

「新華路飯店が見えてきたわ。ちょいと失礼」と李さんは言って、歩道寄りの右側車線を走るベンツの前にスッと横入りした。ちょっとマズいかなと思った。日本だったら、車格の高いベンツの前に、車格が低い車が横入りしたりすると、生意気だと見られて煽られることもあるからだ。

チラリと後ろを振り返ると、ベンツの運転手は怒るどころか笑っている。

「李さん、後ろの運転手が笑っているよ。どうしたの?」と私は聞いた。

「ああ、テールランプで『ちょいと失礼』サインを出したからだと思うよ」

「へえ、そんな機能があるんだ」

「他にも『お先にどうぞ』とか『車間距離とってね』といったサインがあって、このタッチパネルで操作するの」といって李さんは中央のディスプレイを指した。

やがて車は新華路飯店の車寄せに入っていった。

「じゃあ明日はダンナが朝9時に迎えに来るから。調査頑張ってね。リーリーとはここでお別れね。一緒に写真とりましょう」

そう言って李さんは真ん中のディスプレイを操作した。すると、車内を写すカメラの画像が表示され、3人の顔が映った。

「じゃあ行くわよ。1、2、3、チエズ(茄子)!」

*****

「架空乗車体験」はここまでにしておこう。

10年ほど前、「日本経済は自動車産業の一本足打法になっている」という言い方がなされていた。電機産業など自動車以外の分野も立て直さなければならない、という意図でそう言われていたのだが、当時は日本の自動車産業の強さが揺らぐとは誰も思っていなかった。

だが、今その前途が怪しくなっている。中国ではEVシフトとともに、自動車産業と情報通信技術(ICT)との本格的な連携が始まり、車が「気持ちよく移動する空間」から「楽しくすごす空間」へ変わろうとしている。一方、日本の自動車メーカーはEVシフトの波には乗っていないし、ICTの取り込みが中途半端なので、生み出す車は従来の車のコンセプトから大きく外れないものばかりである。中国産EVが世界に輸出されるようになれば、車の概念が大きく変化し、日本車が一気に色褪せてしまうのではないだろうか。

中国では2022年に2702万台の自動車が生産されたが、うち706万台がEV(プラグインハイブリッド車を含む)であった。2022年の日本の全自動車生産台数が784万台だったから、中国のEV産業だけで、日本の自動車産業全体に匹敵する規模になりつつある。

その中国のEV産業で起きている変化が世界に影響を及ぼさないはずはない。日本の自動車メーカーは、中国の新興EVメーカーが推し進めている車内のエンターテインメント空間化をまだ軽蔑の混じった目で見ているのだろうが、彼らの影響力が日本よりも大きくなる日がすぐそこまで迫っているのである。このままでは日本経済を支えてきた一本足も危ういと言わざるをえない。

プロフィール

丸川知雄

1964年生まれ。1987年東京大学経済学部経済学科卒業。2001年までアジア経済研究所で研究員。この間、1991~93年には中国社会学院工業経済研究所客員研究員として中国に駐在。2001年東京大学社会科学研究所助教授、2007年から教授。『現代中国経済』『チャイニーズ・ドリーム: 大衆資本主義が世界を変える』『現代中国の産業』など著書多数

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

韓国尹大統領に逮捕状発付、現職初 支持者らが裁判所

ワールド

アングル:もう賄賂は払わない、アサド政権崩壊で夢と

ワールド

アングル:政治的権利に目覚めるアフリカの若者、デジ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 8
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 9
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 10
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story