コラム

日米FTAの交渉が始まった事実は隠せない

2018年11月16日(金)19時32分

同時通訳が「2国間協定」を「FTA」と間違った、と政府は言うが(11月13日、東京の首相官邸) Issei Kato- REUTERS

<総理官邸やNHKまでがペンス米副大統領は日米の「FTA」交渉を始めるとは言っていない、同時通訳者は誤訳したのだと言い張っている。だが少し調べれば、誤訳などではなかったことは明らかだ>

11月13日に行われた米ペンス副大統領と安倍首相との会談をめぐってちょっとした騒動が起きている。会談後の13日正午から共同記者発表が行われたのだが、その時にペンス副大統領が「自由で、公平、互恵的な貿易の機会は、bilateral trade agreementによってもたらされます」と発言した。その"bilateral trade agreement"の部分を同時通訳者が「FTA(自由貿易協定)」と訳したのに対して、西村康稔官房副長官が記者発表後のブリーフで「同時通訳でBilateral trade agreementをFTAと訳した。しかしまさに2国間協定でありFTAではない」と訂正した(『日本経済新聞』2018年11月14日)。

それに歩調を合わせるように、13時からのNHKニュースも、「ペンス副大統領の同時通訳で『2国間による貿易協定』を『FTA』と表現しましたが、これは誤りでした」として、テロップで「×FTA・自由貿易協定 ○2国間による貿易協定」と流したらしい。

私は共同記者発表の実況を見ていないのだが、たしかにホワイトハウスが発表した文字起こしや外信の報道を見ても、ペンス副大統領は"bilateral trade agreement"と発言したようなので、「2国間による貿易協定」と訳すのが英文法上は正しい、ということになるだろう。

しかし、「FTA」という訳がわざわざ訂正を要するような誤訳かといえばそうではない。ペンス副大統領は11月12日にツイッターで「東京に着いた。安倍首相と会ってFTAの交渉などについて話し合う」と書いている。ペンス・安倍会談について報じたロイターの記事のタイトルも「ペンス副大統領は二国間FTAを結ぶよう日本をプッシュした」となっている。同時通訳者も当然そうした背景を理解したうえで、「FTA」と訳したのであろう。「意訳」ではあっても「誤訳」とはいえない。

本質は日米FTAに他ならない

そもそもFTAではない二国間貿易協定を日本とアメリカが結ぶことは国際法上ありえない。日本とアメリカはともに世界貿易機関(WTO)の加盟国であり、その基本法である関税と貿易に関する一般協定(GATT)を守る義務を有する。GATTの大原則は「最恵国待遇」であり、加盟国すべてを「最恵国」として扱わなければならない。要するにどこかの国をえこひいきしてはいけないのだ。

だから、本当は特定国だけを優遇する自由貿易協定(FTA)も好ましくないはずなのだが、GATT第24条では貿易を一層促進するために例外的に関税同盟や自由貿易協定を認めている。但し、それには条件があって、一つは第三国との貿易に対して障壁を高めないこと、もう一つは関税同盟や自由貿易協定のメンバー間では実質上すべての貿易について制限をなくすることである。

要するに、日本がアメリカ産牛肉と豚肉に対する関税を下げる代わりに、アメリカが日本産自動車の関税を下げるといった適当な貿易協定で手を打つようなことは許されず、日米で貿易協定を結ぶならばそれはほとんどの品目について関税をゼロにするような協定、すなわち自由貿易協定(FTA)を結ぶ以外の選択肢はないということだ。

日本はかつてはWTOを重視する立場からFTAには消極的だったが、アメリカ、ヨーロッパ、韓国などがFTAや関税同盟に向かったことから積極的にFTAを結ぶ方針に転換した。遅れをとった分、他国との差別化をしたくなったようで、FTAではなく経済連携協定(EPA)と称し、貿易の自由化だけでなく、人の移動などの要素も取り込んだ協定を結んできた。もちろんEPAはFTAを含みこんだものであり、WTOにはFTAだとして報告されている。

プロフィール

丸川知雄

1964年生まれ。1987年東京大学経済学部経済学科卒業。2001年までアジア経済研究所で研究員。この間、1991~93年には中国社会学院工業経済研究所客員研究員として中国に駐在。2001年東京大学社会科学研究所助教授、2007年から教授。『現代中国経済』『チャイニーズ・ドリーム: 大衆資本主義が世界を変える』『現代中国の産業』など著書多数

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、トランプ関税発表控え神経質

ワールド

英仏・ウクライナの軍トップ、数日内に会合へ=英報道

ビジネス

米国株式市場=S&P500・ダウ反発、大幅安から切

ビジネス

米利下げ時期「物価動向次第」、関税の影響懸念=リッ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者が警鐘【最新研究】
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 7
    3500年前の粘土板の「くさび形文字」を解読...「意外…
  • 8
    メーガン妃のパスタ料理が賛否両論...「イタリアのお…
  • 9
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 10
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 1
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 2
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】アメリカを貿易赤字にしている国...1位は…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story