コラム

高年齢者雇用安定法の改正と70歳現役時代の到来

2021年05月31日(月)15時10分

しかしながら、新型コロナウイルスの影響により今後景気が後退すると、高年齢者と若年者の間の雇用の代替性が強くなる可能性が高まり、高年齢者の就業により若年者の採用が抑制される「置き換え効果」が起きる恐れがある。「置き換え効果」が起きないようにするためには、高年齢者と若年者の仕事の補完性を高める必要がある。若年者は高年齢者に比べて体力を要する仕事やパソコンを用いた仕事、そして新しい仕事に優れていることに対して、高年齢者は豊かな経験や人脈、要領の面で若年者を上回っているので、若年者と高年齢者の長所を活かしてお互いを補完する形で雇用が提供されると、高年齢者により若年者の雇用機会が奪われる「置き換え効果」の問題が解消されることが期待される。今後は高年齢者と若年者が共に活躍できるように、企業は業務の「補完性」を高めるための施策を講じることが望ましい。

高年齢者の働くモチベーションを引き上げるためには「在職老齢年金」の見直しが必要


これまでの政府の高年齢者雇用政策が公的年金制度の受給開始年齢の引き上げとともに実施されてきたことに比べて、今回の改正では公的年金の受給開始年齢の引き上げとは関係なく、70歳雇用の努力義務が実施される。つまり、これまでは年金の受給開始年齢に合わせて退職する時期を決めていたが、これからは年金の受給開始年齢とは関係なく、高年齢者が個人の希望に合わせて退職する時期を決めることになったのである。

しかしながら、現在実施されている「在職老齢年金」は高年齢者の働く意欲を削ぐような仕組みになっており、見直しが必要である。「在職老齢年金」とは、60歳以上で仕事をしながら賃金と年金を受給している場合、その合計額が一定の水準を超えると老齢厚生年金の一部または全額の支給を停止する制度である。現在は賃金等と年金の合計額が60~64歳で月28万円、65歳以上で月47万円を超えると、支給停止の対象となる。2020年の年金制度改正により2022年4月からは、60~64歳も支給停止の基準額が47万円に引き上げられたものの、まだ高年齢者の雇用促進の妨げになっている。

賃金等と老齢厚生年金の合計額が47万円を超えた場合には、先述した「繰下げ受給」を選択することも可能である。「繰下げ受給」を選択して受給開始年齢を66歳以降に遅らせた場合、1ヶ月ごとに年金額は0.7%ずつ増え、受け取る年齢を70歳にすると65歳に比べて年金の月額は42%も増える。しかしながら、本来の年金額(基礎年金を除く)と給与の合計が月47万円超だと年金額が減額され、受給開始年齢を先延ばししても減額された分は増額の対象からはずれる。現在、65歳以上の受給権者のうち、在職老齢年金の対象となっている者は多くはないものの、今後高齢者の労働市場参加が増えると共に、同一労働同一賃金が普及し高齢者の賃金水準が改善されると「在職老齢年金」の対象者は現在より増加する可能性が高い。将来の労働力不足問題を解決し、働く高年齢者のモチベーションを引き上げつつ、生産性向上につなげるためには、働く意欲を損なう懸念のある「在職老齢年金」の仕組みの見直しを徹底的に議論すべきである。

今後の課題

今後70歳定年を推進するにおいて、いくつか注意すべき点がある。まず、「70歳定年」を含めた定年延長をすべての企業や労働者に一律に適用するよりは、企業や高年齢者がおかれている状況に合わせて柔軟に対応できるように制度を運営する必要がある。高年齢者が希望するだけ長く働くことができる社会を構築することは望ましいものの、企業にとっては高年齢者が対応できる業務を確保することが難しい場合もある。特に事務職の場合は今後供給過剰が予想されており、高年齢者雇用においてミスマッチが発生する可能性が高い。また、高年齢者の場合は、経済的な理由で働かざるを得ないものの、体力の低下等が理由で既存の仕事を継続して担当することが難しいこともある。

プロフィール

金 明中

1970年韓国仁川生まれ。慶應義塾大学大学院経済学研究科前期・後期博士課程修了(博士、商学)。独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年からニッセイ基礎研究所。日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員、亜細亜大学特任准教授を兼任。専門分野は労働経済学、社会保障論、日・韓社会政策比較分析。近著に『韓国における社会政策のあり方』(旬報社)がある

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