コラム

建物の歴史をたどる大都会の考古学

2010年05月27日(木)13時10分

 子供の頃、僕には変わった趣味があった。よその家に遊びにいくと、小さなシャベルを借りて庭に出る。そして「ここならいいよ」と言われたところを掘り始める----土に埋もれた歴史の遺物を探すために。そう、発掘調査だ。考古学という言葉を知らないときから、僕はいっぱしの考古学者だった。

 過去への深い憧憬はその後もずっと僕について回った。そして素晴らしいことに、ニューヨークで僕は、歴史と対話する新たな方法を発見した。ニューヨークには、建築物に歴史を刻むという素敵な伝統がある。だから建物がマンションやら店やらに姿を変えてしまって長い年月が過ぎた後でも、建てられた当時の姿を知る手掛かりが残されている。

 時には、建物にはシンプルに竣工の日付が刻印されている。

c_100527a.jpg

 こうした日付を読むことを習慣にしていると、建築の様式からいつ頃建てられたものか見当がつくようになる。建物を所有していた会社の名を記した物もある。後世に名を残すには、なかなかいい方法だと思う。偉大な建築物はたいがい、それを建てた会社(当時はわが世の春を謳歌していたかもしれない)よりも「長生き」するからだ。

 たとえばロウアー・マンハッタンにある年代物のオフィスビルが印象的だと感じたら、「コイフェル・アンド・エッサー社」の歴史を調べることができる(計算尺がまだ時代遅れでなかった時代に業界トップだったメーカーだ)。

c_100527b.jpg

 なぜ銀行の建物に「ファーストクラス」と「キャビンクラス」のドアがあるのか?(かつては客船会社の建物だったから)。

c_100527c.jpg

c_100527d.jpg

 リノベーション済みの建物の窓の横に巨大な鉛筆のモチーフがある理由は?(エバーハード・フェイバー社の鉛筆工場だったから)。

c_100527e.jpg

 特に銀行は、立派な建物を建てて、自身は消え去るというケースが少なくないようだ。僕のお気に入りの1つは、ウィリアムズバーグ貯蓄銀行(今はHSBCの支店になっている)。ウィリアムズバーグがブルックリンから独立した1つの市だった時代であり、Williamsburgが語尾にhを付けてWilliamsburghと旧式のつづりで表記されていた時代の建物だ。

c_100527f.jpg

c_100527g.jpg

 建物の過去をたどるのは楽しい。ブルックリンのある消防署の隣には、「ブルックリン防火サッシ・ドア会社」と記した堅牢な古い建物がある。現在は医療用品(手術用ゴム手袋やマスクなど)が製造されている。

 時には外壁に描かれた古い広告が残っていることもある。文字は判読しづらくなっていても、歳月を重ねた独特の味わいがあるものだ。僕が気に入っているのは、かろうじて「イチジクシロップ」(昔は便秘に効くとされていた)という文字が読み取れる建物。それはまるで、古い新聞を見て、その書体やレイアウト、当時の流行など全てが風変わりに見えるような感覚だ。

c_100527h.jpg

 今朝たまたま目を留めたビル・ブライソンの本の引用に、ニューヨークの歴史に関する興味深いエピソードがあった。歴史上初めて電気で街灯をともす実験は、1882年にロウアー・マンハッタンのウォール街で行われたらしい。24キロメートルのケーブルを使い、トマス・エジソンが近くの建物から送電実験を成し遂げた様子をブライソンは記している。
 
 その付近を行き交う馬が馬蹄を通して軽く感電した、というような一コマもあったらしい。当時のニューヨーク・ヘラルド紙の記者は、街灯の明かりを「陽光を放つ小さな球、まさしくアラジンの魔法のランプだ」と表現したという。

 こんな歴史の断片を知るだけでわくわくする。なにしろエジソンが実験した場所からほんの1ブロック先に、僕のお気に入りの建物がまだあるからだ。今はマンションとオフィスが入っているが、「エクセルシア電力会社ビル」の名前は残され、その下には1888年と刻まれている。

c_100527i.jpg

 最初の街灯がともってから数年後、その街灯の数百メートル先に完成した建物----当時の様子に思いをはせずにはいられない。これこそが歴史の本質というものだろう。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

独クリスマス市襲撃、容疑者に反イスラム言動 難民対

ワールド

シリア暫定政府、国防相に元反体制派司令官を任命 外

ワールド

アングル:肥満症治療薬、他の疾患治療の契機に 米で

ビジネス

日鉄、ホワイトハウスが「不当な影響力」と米当局に書
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:アサド政権崩壊
特集:アサド政権崩壊
2024年12月24日号(12/17発売)

アサドの独裁国家があっけなく瓦解。新体制のシリアを世界は楽観視できるのか

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 2
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 3
    おやつをやめずに食生活を改善できる?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    トランプ、ウクライナ支援継続で「戦況逆転」の可能…
  • 5
    【駐日ジョージア大使・特別寄稿】ジョージアでは今、…
  • 6
    「私が主役!」と、他人を見下すような態度に批判殺…
  • 7
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いす…
  • 8
    「オメガ3脂肪酸」と「葉物野菜」で腸内環境を改善..…
  • 9
    「スニーカー時代」にハイヒールを擁護するのは「オ…
  • 10
    「たったの10分間でもいい」ランニングをムリなく継続…
  • 1
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──ゼレンスキー
  • 4
    村上春樹、「ぼく」の自分探しの旅は終着点に到達し…
  • 5
    おやつをやめずに食生活を改善できる?...和田秀樹医…
  • 6
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 7
    【クイズ】アメリカにとって最大の貿易相手はどこの…
  • 8
    「どんなゲームよりも熾烈」...ロシアの火炎放射器「…
  • 9
    【駐日ジョージア大使・特別寄稿】ジョージアでは今、…
  • 10
    ウクライナ「ATACMS」攻撃を受けたロシア国内の航空…
  • 1
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が明らかにした現実
  • 2
    ロシア兵「そそくさとシリア脱出」...ロシアのプレゼンス維持はもはや困難か?
  • 3
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 4
    半年で約486万人の旅人「遊女の数は1000人」にも達し…
  • 5
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命を…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    「炭水化物の制限」は健康に問題ないですか?...和田…
  • 8
    ミサイル落下、大爆発の衝撃シーン...ロシアの自走式…
  • 9
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いす…
  • 10
    2年半の捕虜生活を終えたウクライナ兵を待っていた、…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story