Dappi問題で置き去りにされた「敵」を叩くより大事なこと
裁判のその後が重要
より自由で公正な政党同士の競争を促すために、どのような制度設計があり得るのかといった論点が導き出せたはずだが、こうした動きも極めて弱いままだった。専門家からはこうした声は上がっていたが、強かったのはあくまで目先のスキャンダルへの反応だった。
あれだけ大きく騒がれたにもかかわらず、その後、人々の関心は東京オリンピックとコロナ、衆院選、ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元首相銃撃事件、旧統一教会問題と移り変わっていった。
人々にとって大事だったのは、その時々の「敵」に対する効果的な一撃であり、論点を深めることでなかったとも言える。問題を検証していくことよりも、結論ありきで、それに沿った証拠が出てこないとなれば次のスキャンダルに関心が向かっていく。果たして、こうした姿勢で何かが良くなっただろうか。
裁判が終わった後に、大々的に上記の論点が深められることがあるとすれば、大いに歓迎したい。現状を見る限り、その頃にはもう次の話題に関心が移っているような気がしてならないのだが......。
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