コラム

なぜEUは中国に厳しくなったのか【前編】米マグニツキー法とロシアとの関係

2021年07月08日(木)20時32分

EUでは、2月からロシアに対して制裁を課すことを検討、ジョセップ・ボレル外交安全保障上級代表(外相に相当、以下、ボレル外相)は、2月22日に「ロシアは権威主義に突き進み、欧州から離れているという共通認識が(EU内に)ある」と記者会見で批判した。

そして3月2日、制裁を発表。プーチン大統領の側近ら4人に対して、EU域内への渡航を禁止、資産を凍結した

EUとロシアの関係は、「どん底」と言われるまでにひどくなってゆく。

実はこの措置は、EUで12月に採択された「グローバル人権制裁制度」というものに基づいている。これが、第1号の制裁だった。この制度が後に中国に適用されることになるのだが──。

米マグニツキー法と、EUのグローバル人権制裁制度

EUは、人権侵害に責任があるとみなされる個人や団体に対して制裁を加える「法的枠組み」をもっていなかった。

これは、今まで制裁をしていないという意味ではない。「法的枠組み」がなかったのだ。

実際EUは、今まで30ヵ国以上の個人に対して、40以上の異なる制裁措置をとってきた。また、EUの国別制裁のうち、約3分の2は、人権や民主主義の目標を支援するために課されている

しかし、法的枠組みがないということは、明確で透明性のある特定の基準がないということだ。さらにEUでは、もともと何事においても1カ国の政府や議会が決めるよりも時間がかかるのに、ましてや特定の基準がないと、一層ひどいという欠点がある。

EUで法律制定の動きが生じたのは、2012年12月に、オバマ大統領(当時)が署名した米国のマグニツキー法に触発されたためである。

セルゲイ・マグニツキー氏は、汚職を調査していたロシアの税理士で、2009年にモスクワの刑務所で、非人道的な環境と拷問に耐えながら亡くなった人物である。マグニツキー法によって、個人の制裁が法的枠組みで可能になった

このような法的枠組みは、アメリカ、カナダ、EU内ではエストニア、ラトビア、リトアニアというバルト3国、そして英国で制定された。バルト3国はソ連内の国だっただけに、反応が鋭敏だ。

オランダでも制定するように議会が政府に働きかけたところ、政府は「この法律はEUレベルでつくるのが効果的だ」と結論付けた。

そして2018年末にオランダ政府は「グローバル人権制裁制度」のポジション・ペーパーを起草。国連の国際司法裁判所があるオランダのハーグで、EU加盟国の代表者を招いて、議論を行った。

2019年3月には、欧州議会が採択し、EUレベルの人権制裁体制を速やかに構築することを、閣僚理事会に要請している。欧州議会は「制裁体制について、セルゲイ・マグニツキーの名前を象徴的に掲げるべきである」とも提案している。

同年12月、ボレル外相は、EU加盟国が提案された体制について強い合意に達したことを確認したため、欧州対外行動庁(外務省に相当)が制裁体制のための文書の準備を開始することになった。

こうして2020年12月7日、閣僚理事会で「グローバル人権制裁制度」が規則として制定された。世界で、人権侵害に責任を追う個人・団体・国に対して、資産凍結やVISA停止などの制裁を課す法的枠組みが成立した。(6月には、制裁対象に汚職も追加された)。

プロフィール

今井佐緒里

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出合い、EUが変えゆく世界、平等と自由。社会・文化・国際関係等を中心に執筆。ソルボンヌ大学(Paris 3)大学院国際関係・ヨーロッパ研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。編著に「ニッポンの評判 世界17カ国最新レポート」(新潮社)、欧州の章編著に「世界が感嘆する日本人~海外メディアが報じた大震災後のニッポン」「世界で広がる脱原発」(宝島社)、連載「マリアンヌ時評」(フランス・ニュースダイジェスト)等。フランス政府組織で通訳。早稲田大学哲学科卒。出版社の編集者出身。 仏英語翻訳。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏とゼレンスキー氏が「非常に生産的な」協議

ワールド

ローマ教皇の葬儀、20万人が最後の別れ トランプ氏

ビジネス

豊田織機が非上場化を検討、トヨタやグループ企業が出

ビジネス

日産、武漢工場の生産25年度中にも終了 中国事業の
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口の中」を公開した女性、命を救ったものとは?
  • 3
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 4
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 5
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 6
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 7
    足の爪に発見した「異変」、実は「癌」だった...怪我…
  • 8
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 9
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 10
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 3
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 4
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?.…
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 8
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 9
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 10
    【クイズ】世界で最もヒットした「日本のアニメ映画…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story