- HOME
- コラム
- イスラーム世界の現在形
- マイケル・ジャクソン=イスラーム改宗説を思い出す
マイケル・ジャクソン=イスラーム改宗説を思い出す
マイケルがバハレーンでCDを出す計画があった
なお、このバハレーンというのはジャクソン家にとっては縁の深い地で、2005年に、ジャーメインの弟、マイケルが、児童への性的虐待などの裁判で無罪判決を勝ち取ったのち、しばらく拠点を移していた場所としても知られている。このとき、世界中で批判にさらされ、債務返済に窮していたマイケルを招待し、経済面などで面倒をみていたのが、アブダッラー・ビン・ハマド・アール・ハリーファであった。
この人物、「アール・ハリーファ」という名前からもわかるとおり、バハレーンの王族ハリーファ家の一員で、しかも、父のハマドが国王、兄のサルマーンが皇太子というサラブレッドなのだ。ただし、どうやら政治には無頓着で、関心はもっぱら音楽とモータースポーツのほうに向いているらしい。2人のあいだの仲立ちをしたのが、王子の友人でもあったジャーメインだという説もある。
アブダッラー王子とマイケルは共同レーベルTwo Seas Recordを作ったのだが、このレーベル名は「バハレーン」というアラビア語の英訳である(「バハレーン」はアラビア語で「ふたつの海」の謂)。このレーベルを通じて、王子とマイケルがチャリティーCDを出す計画が公けにされ、またマイケルがバハレーンにモスクを建設するだのとの噂も出ていた。その一方で、アバーアを着用して街中を歩くなどの奇行も報じられた。
しかし、蜜月期間は長つづきせず、2006年5月にはマイケルはバハレーンを出てしまう。そして、その後、2008年に王子はロンドンの高等法院に470万ポンドの返済をマイケルに要求する訴訟を起こしたのである。この金額には、マイケルが手放すことになるネバーランドの維持経費、裁判費用、チャリティーCDのための必要経費などが含まれているという。結局、この裁判では示談が成立したようだが、その内容についてはわからなかった。残念ながらチャリティーソングも公開されていない。公開されていれば、作詞作曲アブダッラー・ビン・ハマド・アール・ハリーファ、歌マイケル・ジャクソンという怪作になっていたはずなのだが。
もうひとつ重要なのはマイケルの場合、ずっとイスラームに改宗したとの噂が絶えなかったことであろう。とくにアラビア語メディアではインチキ臭いものが多いが、概してこの説には熱心なようだ(YouTubeを検索すると、マイケルの歌やビデオをイスラームで解釈するというクリップがたくさんみつかる)。兄のジェーメインは、マイケルがもう少しで改宗しそうだったと主張している。彼によれば、マイケルはイスラームに対し強い関心をもっており、ジャーメインはマイケルにサウジアラビアで出版された多数のイスラームに関する書を与え、マイケルはそれらを熱心に読んでいたという。となると、仮に彼が改宗するとなると、サウジアラビア版イスラーム(いわゆるワッハーブ派、ちなみにカタルもワッハーブ派である)ということになったのであろうか?
だが、つい先日も、サウジアラビア最高の宗教権威で総ムフティーのアブドゥルアジーズ・アールッシェイフは、音楽は腐敗堕落しているとの説を出したばかり。草葉の陰でマイケルは何を思うのか?
【参考記事】追悼 マイケル・ジャクソン
【参考記事】完璧な葬送~マイケル・ジャクソン追悼式
アントニオ猪木、歴史に埋もれたイラクでの「発言」 2022.11.14
研究者の死後、蔵書はどう処分されるのか──の、3つの後日談 2022.07.28
中東専門家が見た東京五輪、イスラエルvsイスラーム諸国 2021.08.16
日本人が知らない、社会問題を笑い飛ばすサウジの過激番組『ターシュ・マー・ターシュ』 2021.06.02
トルコ宗務庁がトルコの有名なお土産「ナザール・ボンジュウ」を許されないとした理由 2021.02.25