「体育座りは体に悪い」という記事でもっと気になったこと
1990年代は、現在では考えられないが、精神疾患に対する差別と無知と偏見が熾烈だった。そもそも現在一般的となっているパニック障害という言葉は広く普及しておらず、不安神経症(ないしは単に不安症)という言葉の方が一般的であった。また精神疾患を理由に何かに参加できない、と訴えても、「どうせ怠けているのだ」「さぼりたい口実だ」と断定され、事情を考慮せず垂直的にネガティブな評価が下る時代だった。そもそも精神科や心療内科を受診すること自体に差別感情があった。それが証拠に私の両親は、私がいくら病状を訴えて精神科に行きたいといっても、「(精神科に行けば)古谷家の家名に傷がつく」と一瞥に唾棄し、健康保険証を家のどこかに隠し、私の精神科通院を全力で阻止するという、現在で考えれば異様ともいえる差別感情むき出しの行動をとった始末だったのである。これは現代で考えれば歴とした児童への虐待であり、重大な人権への挑戦、蹂躙とみなさなければならない。このことを私は現在でも恨みに思っており、これが遠因で後年両親と絶縁する道を選んだのであった(2022年5月現在にあっても、本件にあって私の両親は正当化を繰り返しており、謝罪なし)。
いかにさぼるか考え抜いた
さて全校集会に参加し、体育座りで教員の精神訓話を聴くことは確かに退屈だが、寝ていればよい、という当時の学童からして一般的とも言えたやり過ごし方が私には通用しない。発作が起こると感覚が暴走してとても寝られる状況になく、寧ろ感覚が鋭敏になって失神しそうになるほど苦しい(患者によっては本当に失神する場合もある)。これがパニック障害の典型的発作様態である。よって私は、この全校集会をどう乗り越えたらよいのか悩みに悩んだ末、集会中はトイレに隠れることにした。大便室に隠れて、集会が終わると何食わぬ顔でクラスメートの後尾に紛れることで事なきを得ようとしたが、このような姑息な(一時しのぎの意)手段がそう何回も通用するはずもなく、古典を担当するHという教員から「貴様ぁ、毎回いつまでう〇こしておるのかぁ」と大目玉を食らった(このHは、私の病態を「さぼりたいがための虚言である」と初期には決めつけて徹底的に説教をした)。
当然この「不祥事」は担任に通報され、その時私は平謝りに謝ったが、依然として私が体育館にいけない状況はまるで変わらず、とうとうパニック障害を打ち明けた。担任側との交渉は難航した。すでに書いた通り、精神疾患で何かに参加できない学童がいる、という世界観が教員側にないのが1990年代の一般的な学校現場における実情であった。しかもパニック障害はまだまだ大衆に認知されていなかったのだ。しかし私は根が自己主張の塊にできているので、退学も辞さぬ一歩も引かない態度で交渉し、なんとか全校集会とそれにかかわる一切は保健室で待機することを認めさせた。こうやって私は高校を卒業することができたのである。
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