コラム

『オッペンハイマー』:被爆者イメージと向き合えなかった「加害者」

2024年04月11日(木)10時35分

オッペンハイマーは、原爆の開発には積極的だが、一方で水爆の開発には消極的だったと作中で描かれる。この変化について、作中で問われるシーンがあるが、オッペンハイマーは答えをはぐらかす。作中後半の「解決編」でも、それについて明示的な解答は与えられず、永遠に謎のままになっている。

 

しかし、その理由は実は明らかになっている。被爆者である。オッペンハイマーがヒロシマ・ナガサキの惨状を後日、映像によって目の当たりにするシーンがある。映画ではそのシーンは、彼が被爆者の映像を見る場面として表現されるが、映像そのものは決して映ることはない。だが、被爆者の映像が映らないことこそ、オッペンハイマーにとって原爆の被害者のイメージが、いかに心理的に抑圧されているのか、ということの暗示となっているのではないか。被爆者の存在はオッペンハイマーに対して明かに影響を与えているのだが、それは作中ではただ仄めかされるだけで、ほぼ語られることはないのだ。

原爆によって変貌する世界

原爆は単なる兵器ではなく、世界を変貌させる兵器だ。それは原爆によるとてつもない被害を前提としており、オッペンハイマーは被爆者の映像を見る前から、そのことを知っていた。原爆が日本に投下され、戦争が終わったことを喜ぶ人たちの前に立って、オッペンハイマーはもはや正常に世の中を見ることができない。彼はスタンティングオベーションをする観衆の中に、全身が焼け爛れる被爆者の幻影をみる。祝宴で飲みすぎて吐いている人に、原爆症の患者をみる。

もちろん、オッペンハイマーはその時点ではそれらのリアルを目の当たりにしていない。しかし彼は人類に火を与えたギリシャ神話の神プロメテウスに喩えられている。プロメテウスは「先んじて知る者」という意味だ。原爆が存在する世界とは、何らかのきっかけがあれば、世界が瞬時に白く焼き尽くされる世界のことであり、オッペンハイマーはそれを先んじて理解しているのだ。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国副首相が米財務長官と会談、対中関税に懸念 対話

ビジネス

アングル:債券市場に安心感、QT減速観測と財務長官

ビジネス

米中古住宅販売、1月は4.9%減の408万戸 4カ

ワールド

米・ウクライナ、鉱物協定巡り協議継続か 米高官は署
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 8
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story