コラム

国石「ヒスイ」が生まれる東西日本の境界を歩く

2021年09月17日(金)16時20分

◆時間が止まった静寂の村

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峠道の途中で出会った時間が止まったような光景

平岩から先の国道は延々とトンネルが続き、事実上歩行者は排除されている。そのため、前回(※リンク)同様、峠越えの裏道を辿った。ほとんど交通量のない片側一車線の山道の割に、よく整備されている。あとで峠の頂上にあった記念碑を読んで分かったのだが、この県道は、平成7(1995)年の姫川の水害によって川沿いの国道148号と大糸線が一部流されたため、急遽代替ルートとして整備されたそうだ。

小鳥のさえずりだけが響く静かな山道を1時間ほど歩くと、鄙びた山村が出現した。少なくとも平成以前の風情をたたえた例の板張りの木造家屋が並んでいるから、峠道が国道の代替路として整備される以前からあった山村なのだろう。村の入り口にとうに廃業しているように見えるタバコ屋があり、斜面に沿って10軒余りの民家と田畑が連なる。人の気配はまったくなかったが、ところどころに生きた田畑や水が出る消火栓があったので、村はまだかろうじて存続しているのだろう。村外れには神社、お寺、集会所、そして先祖代々の墓が点在していた。昔話に出てくるような、典型的な「日本の山村」である。

晴れ渡った空と澄んだ空気。頭上を1機のヘリコプターが通過していって音が消えると、さらに静寂が深くなり、時間が止まったような錯覚に陥った。ざっと見渡したところ、田畑が耕されて人が暮らしている様子が伺える家は数軒しかなく、既に家が取り壊されて更地になっている土地も多くあった。お寺は周囲がきれいに草刈りされていたが、常駐の住職はいないようだ。村外れの墓所では、まだ枯れていない献花が風に煽られて倒れていた。そう遠くない将来に消える運命にある限界集落。しかし、こうした自然と共存した自給自足的な暮らしは、新時代の新しい価値観のヒントになるはずだ。今のうちにこの光景を見られたのは、運が良かったと思う。

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昔話のような村が山奥にひっそりと残っていた

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寺の敷地はきれいに草刈りされていた

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村外れの墓所。まだ新しい献花が風に倒れていた

◆峠の先で出会ったダイナミックな自然

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ワイルドな岩肌が目を引く明星山。ふもとにヒスイ峡がある。手前は高浪の池

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峠から見えた日本海

集落を出て急坂を上り切ると、峠の頂上だ。県道開通を記念して建立された地蔵堂で旅の終盤の安全を願い、下りに転じた。すると、間もなく眺望が開け、眼前にワイルドな岩山が現れた。石灰岩でできた明星山(みょうじょうさん・標高1,118m)である。映画『ジュラシック・パーク』にでも出てきそうな山容は、太古のフォッサマグナの成り立ちを彷彿とさせる。このふもとを流れる渓谷が、ヒスイ峡と呼ばれる小滝川である。そして、明星山から左方向に視線を転じると、空の色より一段と濃い青い水平線が見えた。日本海だ!目指すゴールがついに見えた。

峠を下りたところで、分かれ道が出現した。まっすぐ行けば国道。左に行くと、再び山道に入り、ヒスイ峡に至る。ヒスイ峡に回ると、合計30km弱の相当な長丁場になりそうだ。もう一度登り返すことになるので体力と精神力も消耗する。しかし、ここは意を決してヒスイ峡ルートを進むことにした。ヒスイのふるさとを見なければ、ここまで歩いてきた意味が半減する。

実際、登り返しは精神的にも体力的にもさすがに堪えたが、頂上から見えた池と山がある自然の光景が疲れた心を癒やしてくれた。この「高浪の池」は、明星山を借景に佇む天然の池で、日本のあちこちにある人工のダム湖にはない、手つかずの自然特有の包み込むような優しさを醸している。ほとりまで下りていくと、太古の自然の匂いを含んだ爽やかな風が抜けていった。

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高浪の池。手つかずの自然が、涼風と共に優しく語りかけてきた

◆縄文〜古墳時代の文化を支えたヒスイの産地

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ヒスイ峡の清流。川の流れによって磨かれた原石は日本海に流れ、海岸に漂着する

高浪の池からヒスイ峡までは、林間の細道をひたすら下っていく。標高が低くなるにつれ気温と湿気が増し、汗ばんだ顔の周りを始終小バエがまとわりつく。歩行時間にして1時間半ほどだったが、それ以上に長く感じられるきついパートだった。ほうほうの体でヒスイ峡に着いたのは、ちょうど正午ごろ。冷たい清流にしばし足を浸し、熱を帯びた疲れ切った体を生き返らせた。

明星山麓の小滝川がなぜ「ヒスイ峡」と呼ばれているかというと、ここが、5億2000万年前のプレートの落ち込みのよって生成された世界最古のヒスイの産地だからである。一帯の「小滝川硬玉産地」は、国の天然記念物に指定されており、現在はヒスイの採取が禁止されているが、明星山の岩肌を削ってできた河原に、今も巨大なヒスイの原石を見ることができる。川の流れによって長い時間をかけて原石が磨かれ、輝く宝石となって日本海に流れていく。そのヒスイが漂着する浜が、糸魚川郊外の「ヒスイ海岸」だ。最終回のゴールはそこにしようと決めている。

糸魚川のヒスイは、縄文時代から古墳時代にかけて、権力と美を象徴する宝石として利用されていた。ヒスイの色には、緑、白、紫、黒などがあるが、大地の豊穣と生命、魂の再生を象徴する緑が、特に珍重されていた。緑色に輝く勾玉(まがたま)が古代日本の神秘性と権力のイメージとイコールなのは、そのためだ。ところが、奈良時代になると、このヒスイ文化は消滅してしまう。仏教の伝来と共に権力構造が変わり、日本の土着文化を象徴するヒスイが意図的に否定されたという説があるが、真相は明らかになっていない。ともかく、糸魚川のヒスイの存在は長く人々の記憶から忘れ去られていた。昭和になってから「再発見」され、現在に至るわけだがそのストーリーの説明は次回に譲ろう。

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ヒスイ峡の河原に露出したヒスイの原石

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ヒスイ峡を上から見る。明星山の岩肌をえぐって、ヒスイの原石が流れていく。

プロフィール

内村コースケ

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。外交官だった父の転勤で少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験。かねてから希望していたカメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、海外ニュース、帰国子女教育、地方移住、ペット・動物愛護問題などをテーマに執筆・撮影活動をしている。日本写真家協会(JPS)会員

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