佐久間宣行が「正しいことが的確に書かれている」と唸った1冊の本
佐久間宣行/1975年、福島県いわき市生まれ。テレビプロデューサー、演出家、作家、ラジオパーソナリティ(銀座 蔦屋書店にて撮影) Photo:遠藤 宏
<現在は多方面で活躍するテレビプロデューサーの佐久間氏だが、20歳の時は絶望に満ちた日々だったという。そんな彼が「すごく共感した」と評するスタンフォード発のロングセラーには、「失敗の仕方」が書かれていた>
「今回初めて読んだんですけど、正しいことが書いてあるという感じがしました。僕がこれまで社会人生活を送ってきた中で思ったことが、この本には的確に書かれている」
「ゴッドタン」「あちこちオードリー」「ピラメキーノ」......。テレビ東京時代に数々の番組を生み出し、2019年からは「オールナイトニッポン0」(ニッポン放送)のパーソナリティも務める演出家の佐久間宣行さんに、『新版 20歳のときに知っておきたかったこと――スタンフォード大学集中講義』(CCCメディアハウス ※アマゾンはこちら ※楽天ブックスはこちら)について聞くと、開口一番こう答えた。
同書はスタンフォード大学工学部教授のティナ・シーリグが「みなさんのやる気に火をつける」ためにまとめた1冊だ。2010年に邦訳が出て、日本で30万部のロングセラーとなった後、2020年に大幅に増補された新版が刊行された。
佐久間さんは「この本を学生時代に読める人は、本当に、幸せなんじゃないかと思うんですけど」と語り、帯に自身の言葉を寄せている。
手がけた番組は軒並みヒット、著書の『ずるい仕事術』(ダイヤモンド社)は発売約4カ月で10万部を突破するなど、順風満帆なテレビマン生活を送ってきたと思いきや、20歳の時は絶望に満ちた日々だったという。
そんな佐久間さんに、自身の20歳の時のことや、同書に書かれた「正しいこと」について聞いた。
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クリエイティブな仕事ができるとは全く思っていなかった
――20歳の時って、何をしていたか覚えていますか?
僕は18で福島のいわきから出てきたんですけど、その理由はいわきにいた頃には見られなかったお芝居や映画を見たかったから。
大学に入学した直後はサークルに入っていたんですが、最初の1年間で完全に東京酔いしてしまった。それに毎日お芝居や映画ばかり見て大学にほとんど行かなかったら、2年の時に留年しちゃったんですよ。だって2単位しか取ってなかったから。
「何やってるんだろう」って、とにかく絶望してましたね。
――何か目標があったわけではなくて。
先が見えなかったです。好きなことをしてはいたけれど、自分が天才とも思えなかったし。それに冷静に考えると、どうしたってあと3年で社会に出るのに、3年間で楽しい仕事ができる人間になれるのかも分からない。
社会で活躍したいというのではなく、楽しい仕事をして楽しい人生を送り続けたかったけれど、そんな力量が自分にあるとは思えませんでした。
――とはいえ、大学を5年で卒業した後はテレビ東京に制作職で入社しましたね。
留年したから親にこれ以上迷惑かけられないと思ったので、最初は営業から何からあらゆる業種の採用試験を受けたんですよ。僕は99年入社なんですけど、大就職氷河期だったので、とにかくどこでもいいから就職しようと思って。
そしたらメーカーや商社の営業職に採用されたんです。居酒屋でアルバイトをしていたので接客業は得意だったけど、テレビの制作ができるとは思っていなかった。
それでも記念受験でフジテレビの面接に行ったら、役員から「君は面白いと思うものを言語化するのがうまいから、番組制作に向いてるんじゃない?」って言われて。その時点で制作職を募集していたのがテレビ東京だけだったので、すぐに書類を送りました。
――なぜテレビ制作はできないと思っていたんですか?
僕が勝手に思っていただけなんですけど、メディアで活躍する人って、それこそ演劇とかで活躍して、学生時代から輝いている人なんだろうと。でも僕は、ただ演劇が好きで見ているだけだった。
それに、1年で辞めちゃったサークルが広告研究会だったんですけど、同期や後輩に、大学卒業後に映画監督やプロデューサーとして活躍するような、錚々たるメンバーがいました。今は違うと思いますが、僕が中高生として過ごした頃のいわきは文化不毛地帯だったから、在学当時から活躍していた彼ら彼女らとはスタート地点から違うなと思ってしまった。
だから自分がクリエイティブな仕事ができるなんて、全く思わなかったですね。