コラム

距離が縮まるイラクとサウジアラビア

2017年08月29日(火)13時00分

7月にISISから奪還されたモスルでは少しずつ市民生活が戻ってきている Suhaib Salem-REUTERS

<中東ではISISの存在が次第に小さくなっているが、イラクでは対ISISでまとまっていたたがが外れて、各政党の勢力関係はますます複雑になっている>

イラクがモースルのIS(イスラーム国)からの解放を宣言して、1か月半経った。これでISも終わりだ、というムードが漂うなか、果たして「ISの終焉=中東が安定」となるのだろうか。

イラクに関してみれば、逆だといえるだろう。この1か月の間、驚くような新展開が続いているからだ。まず第一に、7月24日、有力シーア派イスラーム主義政党であるイラク・イスラーム最高評議会(ISCI)の党首で現イラク与党連合「国民同盟」の長のアンマール・ハキームが、突然ISCIを辞め、新しい政党を作った。第二に、7月30日、シーア派のなかでも貧困層、若年層を中心に圧倒的な人気を誇ってきた暴れん坊、ムクタダ・サドルが11年振りにサウディアラビアを訪問した。

いったい何が起きているのか? この2つの出来事には、来年の選挙を見越したイラク国内の政界再編の動きであることは確かだが、そこには現在も解決の目途のつかないサウディアラビアとカタール、イランの緊張関係が影響している。

最初に、アンマール・ハキームがISCIを辞めたことに関して、簡単に歴史的な経緯を説明しておこう。ISCIは、1982年、当時のイラクのフセイン政権によって国を追われたシーア派のイスラーム法学者や宗教名望家の一族が、亡命先のイランで成立した、当時の反フセイン活動の大同団結組織である。設立自体、イランの全面的なてこ入れによって実現したものであり、当初の組織名「イラク・イスラーム革命最高指導評議会(SCIRI)」は、明らかに「イラク版イラン革命を目指す人々」を意味していた。

初代のSCIRI議長にはマフムード・ハーシェミーが就任したが、彼はその後イランの司法権長となるなど、初期においてはイラク人の組織なのかイランの国内組織なのか、判然としなかったのである。

【参考記事】「ゴースト」「ドイツの椅子」......ISISが好んだ7種の拷問

だが数年後にナジャフ出身のムハンマド・バーキル・ハキームを長として以降、徐々に「イラクの反政府勢力」との位置づけを強めていく。湾岸戦争以降、90年代にはクウェートなど湾岸諸国にもアプローチし、英米でもロビー活動に余念なく、イラク戦争開戦時にはSCIRIはアメリカが唯一支援対象とするシーア派イスラーム勢力となっていた。

この興隆を支えたのが、ムハンマド・バーキルを長とするハキーム一族だった。ムハンマド・バーキルの父、ムフスィン・ハキームは、60年代にイラクで唯一の最高位のシーア派宗教権威だった人物で、シーア派宗教界に絶対的な影響力を持っていた。その「家の名誉」は絶大であり、ハキーム家こそがシーア派宗教界のなかで最大、最高の地位を誇る一族なのだ、との自負は、並々ならぬものがある。

2003年にフセイン政権が打倒されると、ハキーム一族は晴れやかにイラクに凱旋帰国するが、ムハンマド・バーキルは同年秋に爆殺されてしまう。すると弟のアブドゥルアジーズが、ISCI(イラク戦争後、「イスラーム革命」の名前を掲げ続けるのはアメリカの手前よろしくないと思ったのか、SCIRIを改名して革命のRを取った)の長を引き継いだ。そしてそのアブドゥルアジーズが2009年に肺癌で死亡すると、息子のアンマールが長を継いだ。33年にわたり、SCIRI/ISCIはハキーム一族を中心とする家族経営だったのである。

そのISCIからハキーム家が外れた。ISCIの新たな長には老舗幹部のイスラーム法学者、フマーム・フマイディが就任、組織にとって初めてのハキーム家以外の長を抱えることとなる。創業一族なしに、ISCIは組織として成り立つのだろうか? イランと長い長い付き合いを資産にしてきたハキーム一族は、バドル機構などもっと使い勝手のいいパートナーを得たイランにとって、すでに用なしになったのだろうか? (もっとも、8月のロウハーニ大統領の就任式にはアンマールはちゃんと招待されており、イランとの関係は引きつづき良好ではある。)

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米・イランが間接協議、域内情勢のエスカレーション回

ワールド

ベトナム共産党、国家主席にラム公安相指名 国会議長

ワールド

サウジ皇太子と米大統領補佐官、二国間協定やガザ問題

ワールド

ジョージア「スパイ法案」、大統領が拒否権発動
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「隣のあの子」が「未来の王妃」へ...キャサリン妃の「ロイヤル大変貌」が話題に

  • 3

    「裸に安全ピンだけ」の衝撃...マイリー・サイラスの過激衣装にネット騒然

  • 4

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 5

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 6

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 7

    「すごく恥ずかしい...」オリヴィア・ロドリゴ、ライ…

  • 8

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 9

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 10

    中国の文化人・エリート層が「自由と文化」を求め日…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 3

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 9

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイ…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story