コラム

英首相の「ミッション:インポッシブル」EUからの脱出は本当に可能なのか

2018年11月16日(金)11時00分

イギリスで、ネヴィル・チェンバレン以来と言われるほどの集中砲火を浴びるメイ首相(11月15日)Matt Dunham/Reuters

[ロンドン発]テリーザ・メイ英首相は欧州連合(EU)と585ページの離脱協定書について合意し、5時間に及んだ臨時閣議で承認を取り付けた。11月25日のEU臨時首脳会議で署名される。しかしドミニク・ラーブ離脱担当相ら閣僚2人が辞任し、12月中に離脱協定書が英議会を通るかどうか予測がつかない。

15日、下院で3時間にわたって強硬離脱派と残留派の集中砲火を浴びたメイ首相は「協定書は最終の合意ではない」と含みを持たせた。

首相の決定に下院で与野党からこれだけ反対意見が述べられるのは、宥和政策でナチス・ドイツの拡張主義を許したネヴィル・チェンバレン首相(在任1937〜40年)以来だと英メディアはメイ首相の退陣をほのめかす。

1939年9月、ナチスのポーランド侵攻で第二次大戦が始まり、チェンバレンは1940年5月、後に「ノルウェー・ディベート」と呼ばれる歴史的な下院討論で与野党から攻撃される。ナチスのノルウェー侵攻を防げず、無様に退却した責任を問われたのだ。

失意のうちに死んだチェンバレン

海軍元帥がノルウェー作戦におけるチェンバレンの無能ぶりを批判し、保守党議員からも「あなたは首相の座に長く居すぎた。即刻、辞任しろ」と詰め寄られた。野党・労働党との戦時内閣樹立に失敗したチェンバレンはナチスのベルギー侵攻を許し、辞任する。

半年後、チェンバレンは失意のまま大腸がんで死亡する。独裁者ヒトラーに追い詰められた英国の苦境は、アカデミー賞を受賞した昨年の英映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(原題:Darkest Hour)で詳細に描かれた。

この1年で強硬離脱派の頭目ボリス・ジョンソン前外相やデービッド・デービス前離脱担当相を含む18人の保守党議員がメイ政権の要職を辞任した。

離脱交渉でEUに屈したように見えるメイ首相はチェンバレンと同じ運命を辿るのか。だとしたら英国を救うのはチャーチル、すなわち次の首相ということになる。

下院は、メイ首相と同じ穏健離脱派、離脱後に米国と自由貿易協定(FTA)を締結、環太平洋経済連携協定(TPP)参加11カ国の新協定「TPP11」に参加したい強硬離脱派、EU国民投票のやり直しを求める残留派に大きく分かれる。

保守党も労働党も分裂状態なので、メイ首相の主導する離脱協定書で過半数を取れるのか、票読みをするのは非常に難しい。英誌スペクテイターのフレイザー・ネルソン編集長は「メイ首相は1票差で勝てると読んで勝負に出た」とTVニュース番組で解説した。

プロフィール

木村正人

在ロンドン国際ジャーナリスト
元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『欧州 絶望の現場を歩く―広がるBrexitの衝撃』(ウェッジ)、『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
masakimu50@gmail.com
twitter.com/masakimu41

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ジョージア「スパイ法案」、大統領が拒否権発動

ビジネス

必要なら利上げも、インフレは今年改善なく=ボウマン

ワールド

台湾の頼次期総統、20日の就任式で中国との「現状維

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部で攻勢強化 米大統領補佐官が
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバいのか!?

  • 3

    SNSで動画が大ヒットした「雨の中でバレエを踊るナイジェリアの少年」...経験した偏見と苦難、そして現在の夢

  • 4

    「まるでロイヤルツアー」...メーガン妃とヘンリー王…

  • 5

    時速160キロで走行...制御失ったテスラが宙を舞い、4…

  • 6

    チャールズ英国王、自身の「不気味」な肖像画を見た…

  • 7

    日本とはどこが違う? 韓国ドラマのオリジナルサウン…

  • 8

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 9

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 10

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 1

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々に明らかになる落とし穴

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story