コラム

「ボストンを変えた」交響楽団に音楽監督として乗り込んだ小澤征爾が打ち破った上流社会の伝統

2024年02月28日(水)18時20分
「ボストンを変えた男」ボストン交響楽団に乗り込んだ小澤征爾が打ち破った上流社会の伝統

独立記念日にレッドソックスの往年の名打者ヤストレムスキーと並んで(1999年) BILL BRETTーTHE BOSTON GLOBE/GETTY IMAGES

<ボストン・レッドソックスの熱狂的なファンとして、誰にでも心を開いた気さくなマエストロがアメリカのこの地で成し遂げたこと。好評発売中の本誌「世界が愛した小澤征爾」特集より>

小澤征爾の訃報を受け、深い悲しみに沈む今のボストンは、1973年に小澤がこの街の誇るボストン交響楽団の新任音楽監督として乗り込んだ当時とは、まるで趣を異にする。

筆者が生まれ育ったこの街の人々は、小澤を愛した。ハッピーで自由気まま、あふれる活力でこの街を包んだ小澤を......。0305_1005 (1) (1).jpg

地元の大リーグ球団ボストン・レッドソックスの熱狂的なファンで、7月4日の独立記念日に行われる無料コンサートでは、球団のユニフォームを着て、往年の名打者カール・ヤストレムスキーと並んでお祭り気分を盛り上げた小澤。

そんな指揮者をこの街の人たちが好きにならないわけがない。だがそれ以上に、小澤にはボストンっ子に愛される理由があった。

彼はこの街を変えたのだ。それも人々の理想に近い形に。

小澤はボストン文化の堅苦しい一面にとらわれず、持ち前の温かな人柄とほとばしる情熱で人々に接し、この街に溶け込んだ。

相手が誰だろうと──ボストンの高級住宅地ビーコンヒルに住む気取ったプロテスタントだろうと、市南部の労働者地区出身のアイルランド系カトリック教徒だろうと、彼は意に介さない。

いつだってオープンマインド。古い因縁や慣習などお構いなしだ。

ボストン交響楽団の音楽監督を務めた29年間で、小澤はこの街のアイデンティティーの一部となった。

02年にここをたってから20年余りが過ぎた今も、それは変わらない。

小澤が就任する少し前の60年代、ボストン交響楽団はボストン大学美術応用芸術大学院とニューイングランド音楽院の院生たちが名演奏に親しめるよう、マチネ公演のチケットを格安料金で提供していた。

後に指揮者、オペラ歌手となった私の叔父と叔母はよく授業をさぼっては市内のシンフォニー・ホールのバルコニー席に陣取ったものだ。

公演は午後3時頃に始まるが、毎回はるか下のステージでボストン交響楽団が演奏している最中にバルコニー席の裕福なマダムたちが1人また1人と立ち上がり、玄関ホールで待つ運転手の元へと平然と去っていく。

高級ホテルでのお茶会に向かうか、自宅でお茶会を開くためだ。

当時の音楽監督だった厳格なオーストリア人指揮者、エーリヒ・ラインスドルフは指揮棒を振りつつ、演奏中に席を立つ無礼な客たちにちらりと冷たい視線を送るが、マダムたちは悪びれる様子もなく堂々と立ち去る。

ボストン社会のヒエラルキーには何者も逆らえないのだ。

プロフィール

グレン・カール

GLENN CARLE 元CIA諜報員。約20年間にわたり世界各地での諜報・工作活動に関わり、後に米国家情報会議情報分析次官として米政府のテロ分析責任者を務めた

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

FRB、物価圧力緩和まで金利据え置きを=ジェファー

ビジネス

米消費者のインフレ期待、1年先と5年先で上昇=NY

ビジネス

EU資本市場統合、一部加盟国「協力して前進」も=欧

ビジネス

ゲームストップ株2倍超に、ミーム株火付け役が3年ぶ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    年金だけに頼ると貧困ライン未満の生活に...進む少子高齢化、死ぬまで働く中国農村の高齢者たち

  • 4

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 5

    ブラッドレー歩兵戦闘車、ロシアT80戦車を撃ち抜く「…

  • 6

    自宅のリフォーム中、床下でショッキングな発見をし…

  • 7

    地下室の排水口の中に、無数の触手を蠢かせる「謎の…

  • 8

    アメリカでなぜか人気急上昇中のメーガン妃...「ネト…

  • 9

    あの伝説も、その語源も...事実疑わしき知識を得意げ…

  • 10

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 6

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 7

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 8

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 9

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 10

    「終わりよければ全てよし」...日本の「締めくくりの…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story