コラム

社会に存在する問題に「真の名」をつけることの力

2020年03月17日(火)16時30分

この本を読み進めるにつれ、「私が伝えたかったのはまさにこれだ」と何度も、何度も頷いた。「ミソジニーの標石」で、ソルニットは、「女は自分のジェンダーへの忠誠心がないことで嫌われる。だが、面白いことに、女は自分のジェンダーへ忠誠心を抱いても嫌われるのだ。女は主要な女性候補を支持すると、生殖器で投票していると責められる。だが、アメリカの歴史を通じて、たいていの男性が男性候補を支持しているのに、ペニスで投票していると責められたことはない」と書いているが、これは、選挙中に(生殖器の名前抜きで)私がよく夫や娘にぼやいていたことだった。

これを含め、選挙中に私が感じたことをこれほど明瞭かつ明快に代弁してくれたエッセイはほかにない。

私が現地で体験したことをすばらしい文章で代弁してくれたのはもちろん嬉しいが、ソルニットの素晴らしさは、私たちが知らなかった歴史の数々を教えてくれ、これまで何の関係もなかったかのような歴史上の点を繋げてくれることだ。カリフォルニアがいかにしてアメリカの領土になったのかを語る「国の土台に流された血」というエッセイを読むと、選択的に移民を廃除することに積極的なトランプ政権と、彼の移民政策を支持するアメリカ人の傲慢さをさらに強く感じるようになる。

2016年の選挙では、「purity test(純潔さの試験)」という言葉も飛び交った。特に左寄りの急進派が、ヒラリー・クリントンが共和党の家庭で育ち、高校生のときに共和党候補の支援活動をしたことなどをあげて批判したことだ。つまり、「100%完璧でない者は、100%否定するべきだ」という態度のことだ。それについても、ソルニットは「脇の下の垢」の中で「あまりにも多くの人が完璧さを信じていて、そのために完璧ではないものすべてを貶めてしてしまう」、そして「無邪気な冷笑家」では「無邪気な冷笑家は可能性を撃ち落とす」と語る。

完璧である必要はない

ソルニットは、私より政治的には左寄りの立場だと思う。政策面ではきっと同意できないところもあるだろう。だが、極端なイデオロギーの背後にある怠惰さを指摘し、長期的な視点での社会運動の重要さを何度も語る彼女のエッセイを読んで、これまでと考え方が変わったところもある。私たちの間に違いはあっていいし、完璧である必要はない。それを認めあい、あきらめずに語り合い、活動することが必要なのだ。

この本を翻訳する合間に読んでいた本のひとつに、ブッカー賞のロングリスト候補になった『Frankissstein(フランキススタイン)』という小説がある。フランケンシュタインを元にした、非常にクリエイティブな作品だ。その中で、主要な登場人物が「アダムの役割は世界に名前をつけることだった。(中略)名前をつけることは、今でも私たちの主要な役割である。(中略)ものごとを正しい名前で呼ぶことは、それらに本人証明用ブレスレットやラベルをつけたり、シリアルナンバーをつけたりする以上の意味がある。われわれは、ビジョンを喚起するのだ。名前をつけることはパワーなのだ」とスピーチする場面がある。

それを読んだとき、セレンディピティだと思った。

私は、子供の頃から魔法が出てくるファンタジーが好きなのだが、欧米の魔法ファンタジーでは「真(まこと)の名前」は非常に重要な意味を持つ。「真の名前」は本人の真相を表すものなので、他人に知られるとパワーを明け渡すことになる。だから魔力を持つ者は真の名を隠すのだ。

私たちがパワーを持つためには、現在起こっていることを誤魔化さず、見過ごさず、深く掘り下げることで、ものごとの「真の名」を見つけることから始めなければならない。そして、見つけたら、その真の名を堂々と使うことにも慣れなければならないのだ。

そして、ものごとに真の名をつけるために必要な知識と思考力も、あきらめずに、つけていこうではないか。

(2019年9月)
Call Them by Their True Names: American Crises (and Essays), Rebecca Solnit Haymarket Books, 2018 『それを、真の名で呼ぶならば――危機の時代と言葉の力』渡辺由佳里訳(岩波書店)

~~『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(渡辺由佳里著、亜紀書房刊)より転載。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story