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社会に存在する問題に「真の名」をつけることの力
『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)
<私たちがパワーを持つためには、現在起こっていることを誤魔化さず、見過ごさず、深く掘り下げることで、ものごとの「真の名」を見つけることから始めなければならない>
当欄でコラム連載中の渡辺由佳里氏が、コラム掲載記事などをベースに執筆した新刊『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)が今月(2020年3月)発刊された。筆者がアメリカのベストセラーを通じて、さまざまな社会問題を解説する本書......ここではその「あとがき」としての意味合いもある結びの一章を特別に掲載する。
大統領選挙が行われた2016年から本書を執筆中の2019年にかけて、アメリカ合衆国では異常な政治的なシフトが起こっている。
「スターだとなんでもやらせてくれる。なにをやってもいい」、「プッシーを掴んでやる」という発言を含む映像がニュースに流れ、何千人もの聴衆を前に「私が5番街の大通りの真ん中でだれかを撃ったとしても、票を失うことはないだろう」と堂々と放言したトランプがアメリカの大統領になったのだ。しかも、後にロシアが選挙に介入したことが明らかになったのに、あれほどロシアや社会主義を嫌っていたはずの共和党は問題視すらしていない。そればかりか、アメリカの大統領が懇意にし、何度も尊敬の言葉を口にするのが、ロシアのプーチン大統領と北朝鮮の金正恩なのだ。共和党が聖人のように敬っている亡きロナルド・レーガン元大統領が知ったら、きっと現在のことを「ディストピア」だと思ったことだろう。
共和党議員の中にもトランプに脅威を覚えている者はいるようだが、反論すると干されて針のむしろになるようだ。また、自分の選挙区に住む保守の有権者が圧倒的にトランプを支持しているために、落選を恐れてなにも言うことができない。
口を開けるたびに嘘や創作を口にするトランプに、多くの人は麻痺してしまっており、もう少々の嘘ではなにも感じなくなってきている。「自分がなにを感じても、どうせ社会は変わらない」という無力感も漂っている。その間に、トランプはどんどん国民の権利を奪っており、いつしか、本書でご紹介したマーガレット・アトウッドの『The Handmaid's Tale(侍女の物語)』や『The Testaments(陳述書)』の舞台であるギレアデ共和国になっていきそうな気配だ。ギレアデは、白人至上主義で、徹底した男尊女卑の社会だ。国民は男女とも厳しい規則で縛られ、常に監視されている。この国では環境汚染などで女性の出産率が激減しており、子供が産める女性は貴重な道具として扱われるが、あとは文盲でお飾りの妻か、下働きのお手伝いだ。
「私はヴァギナで投票しない」
2016年の大統領選挙のとき、現場を取材していて驚いたことがある。それは、アメリカの若い女性たちが「女性の人権」をあまりにも軽く捉えていたことだった。とくに急進派のバーニー・サンダースを支援する若い女性たちによるフェミニストやフェミニズムを見下げるような言動には唖然とした。100年前の女性たちが、投獄を覚悟で女性の参政権のために闘ったことや、60年前の女性たちが「性と生殖」について女性自身が決める権利のために闘ったことを、知らないか、忘れてしまっているようだった。
そういった若い女性に対し、1960年代から70年代にかけて女性の人権のために闘ったグローリア・スタイネムなどのフェミニストたちはトランプ大統領が誕生したら女性の権利が危機にさらされると警鐘を鳴らしたが、彼女たちはそれを無視し、そればかりか、「ヒラリーはトランプより危険」という女優のスーザン・サランドンの発言を鵜呑みにした。そして、スタイネムや「女性を応援しない女性には特別な地獄がある」とヒラリーを応援したマデレーン・オルブライト(女性として初めての国務長官)をインターネットで批判した。そして、サランドンが「私はヴァギナで投票しない」とヒラリー・クリントンの支持を否定したときには、その台詞を繰り返す若い女性たちがソーシャルメディアに現れた。
私は、2016年の大統領選挙を長期にわたって現場で取材し、その様子をニューズウィーク日本語版の連載や『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などで報告した。だが、この切迫感が伝わらないもどかしさを感じていた。
そんなとき、レベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)の『Call Them by Their True Names: American Crises (and Essays)、(それを、真の名で呼ぶならば――危機の時代と言葉の力)』に出会った。そればかりか、自分で翻訳する機会までいただいた。
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