コラム

米文学界最恐の文芸評論家ミチコ・カクタニの引退

2017年08月10日(木)12時00分

書評家という存在を越えてカルチャーアイコンとなったミチコ・カクタニ mbbirdy-iStock.

<アメリカ文学界で最も恐れられたニューヨーク・タイムズの文芸評論家ミチコ・カクタニが引退を表明。歯に衣着せぬ毒舌を浴びせられた大御所作家は数知れないが、その業績は高く評価されている>

ニューヨーク・タイムズ紙の書評欄主任(chief daily book critic)のミチコ・カクタニ氏が7月末に引退を発表した。このニュースは、瞬く間にソーシャルメディアで広まり、主要メディアも大きく伝えた。

ミチコ・カクタニは、「角谷美智子」という日本名も持つ日系2世のアメリカ人で、イエール大学卒業後、ワシントン・ポスト紙に記者として務め、タイム誌を経て、1979年から記者としてニューヨーク・タイムズ紙に加わった。83年から書評を書き始めて現在に至る。

作家ではない文芸評論家の引退がアメリカだけでなくイギリスでも大きなニュースになったのには訳がある。カクタニは、最も影響力を持つ文芸評論家として、英語圏の文学界に長年君臨した女王的な存在だった。

サイモン&シュースター社の社長であるジョナサン・カープはこう説明した。「ミチコ・カクタニから絶賛を受けるのは名誉の印であり、本格的な作家にとって究極のお墨付きだ。彼女は非常に尊敬され、非常に恐れられてきた」

なぜ「ミチコ・カクタニ」という名前は、作家たちに「恐れと魅惑」という両極端の強い感情をかきたてるのか?

【参考記事】大統領選の波乱を予兆していた、米SF界のカルチャー戦争

作家と交友関係を持たず、他者からの影響を徹底的に拒否するカクタニの書評は、新聞に掲載されるまでは誰にも予想できない。無名の新人のデビュー作を褒め、出版社が大金の宣伝費を使った大御所の作品をこき下ろす。「気に入りの作家」などというものはなく、ある作家の一つの作品を絶賛しても、次の作品を容赦なく叩きのめす。

カクタニの書評は、しばしば「(独断的)opinionated」と批判されるほど独自の鋭さを持っている。ときに、英語ネイティブでも辞書を使わないとわからない難しい表現がしばしば出てくる彼女の書評は、それだけでも読みごたえがあり、一種の「アート」として捉えられるようになった。

本来、書評は本選びの参考にするために読むものだが、取り上げられている本は読まなくても、カクタニの書評だけは必ず読むという読者が生まれた。カクタニの業績は高く評価され、98年にはピュリッツァー賞を受賞した。

カクタニの褒め言葉は作家を天にも昇る心地にしてくれるが、悪い評価は、作家を地獄に突き落とす。作家のニコルソン・ベイカーは、「カクタニからネガティブな評価を受けるのは、麻酔なしに外科手術を受けるようなもの」と表現した。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中印ブラジル「ロシアと取引継続なら大打撃」、NAT

ビジネス

NY外為市場=ドル急伸し148円台後半、4月以来の

ビジネス

米金利変更急がず、関税の影響は限定的な可能性=ボス

ワールド

トランプ氏「ウクライナはモスクワ攻撃すべきでない」
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パスタの食べ方」に批判殺到、SNSで動画が大炎上
  • 2
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長だけ追い求め「失われた数百年」到来か?
  • 3
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」だった...異臭の正体にネット衝撃
  • 4
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機…
  • 5
    「このお菓子、子どもに本当に大丈夫?」──食品添加…
  • 6
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中…
  • 7
    約3万人のオーディションで抜擢...ドラマ版『ハリー…
  • 8
    「オーバーツーリズムは存在しない」──星野リゾート…
  • 9
    「巨大なヘラジカ」が車と衝突し死亡、側溝に「遺さ…
  • 10
    歴史的転換?ドイツはもうイスラエルのジェノサイド…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 5
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 9
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 10
    「二度とやるな!」イタリア旅行中の米女性の「パス…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story