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米文学界最恐の文芸評論家ミチコ・カクタニの引退
カクタニからありがたくない評価を受けた大作家は数え切れない。トム・ウルフ、ドン・デリーロ、ジョン・アップダイク、マーガレット・アトウッド、サルマン・ラシュディ、村上春樹、そして、ノーベル賞受賞者のトニ・モリスンですら毒舌から逃れられなかった。
たいていの作家は、たとえがっくりしても、アトウッドのように「評論家は評論家。彼女は、ときには褒め、次には爆弾を落とす人として文学界で知られている。作家が自己満足に陥らないようにね」と軽くいなす。
アトウッドが言うように、カクタニは、ゼイディー・スミスのデビュー作『White Teeth』を絶賛して有名にする手伝いをしたが、後の作品『NW』については、登場人物が「紙人形」のように薄っぺらだという残酷な評価を与えた。才能ある作家の怠慢を許さず、常にチャレンジするのがカクタニなのだ。
しかし、カクタニの酷評を恨み、根に持つ作家もいる。それはたいてい男性作家だ。
その中でも最も有名なのが、いまは亡きノーマン・メイラーだ。自分の作品を「愚かで、尊大で、ときに意図せず笑いを誘う(silly, self-important and at times inadvertently comical)」と評価されたメイラーは激怒し、「女の単独神風特攻隊(a one-woman kamikaze)」など、カクタニが日系人女性であることへの差別的な発言を繰り返した。
2006年刊行の回想録を「若いクズ野郎としての芸術家の鼻持ちならない自画像(an odious self-portrait of the artist as a young jackass)」と評価されたジョナサン・フランゼンは、「鈍感でユーモアのセンスがない(tone-deaf and humorless)」と怒り、2年後にも「ニューヨークで一番のばか(the stupidest person in New York)」と文章にこだわる文芸作家らしくない表現で対応した。
【参考記事】ボブ・ディラン受賞の驚きと、村上春樹の機が熟した2つの理由
しかし、カクタニのすごいところは、こんな大人気ない対応をしたフランゼンが2010年に刊行した小説『Freedom』を惜しみなく褒めたことだ。作家ではなく、作品を評価するカクタニらしい逸話だ。
表舞台に出てこない謎めいた存在と、酷評するときの毒舌、文学界での膨大な影響力のコンビネーションが、「ミチコ・カクタニ」をテレビドラマなどでよく名前を使われるポップカルチャーのアイコンにした。
「酷評でもいいから、いつかカクタニに作品を評価してもらいたい」と思う作家や作家志望者は星の数ほどいる。ミチコ・カクタニには敵も多いが、羨望する者はもっと多い。
インターネットが普及し、大手新聞の影響力が弱まっている現在では、これだけの存在感を持つ文芸評論家はもう生まれないだろう。
ミチコ・カクタニの引退は、一つの時代の終わりを告げている。
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