コラム

アメリカを対テロ戦争に導いた、ブッシュ元大統領の贖罪とは

2017年04月03日(月)14時40分

だが、ブッシュに描かれた軍人たちは、義肢で見事なゴルフのショットをし、ブッシュ本人とダンスを踊り、笑顔で仲間と肩を抱き合っている。つまり、深い傷にも負けずに立ち上がる彼らの勇敢さを強調するものだ。

何よりも印象的だったのが、ブッシュの絵から、それぞれの軍人の人格や個性、心理状態がしっかりと伝わってくることだ。脳損傷とPTSDへの治療として、左右が異なる色のコンタクトレンズを入れている男性の表情からは、終わりのない苦痛が伝わってくる。モデルにした人物に興味がなければ描けないポートレートだ。これまで知らなかったブッシュに出会ったような気がして、感慨を覚えた。

読んでいるうちに浮かんできたのは Atonement という単語だ。キリスト教の概念を表す言葉で、贖罪、罪ほろぼし、償い、という意味がある。

同時多発テロの首謀者だったウサマ・ビンラディンを支援するタリバンが統治していたアフガニスタンでの戦争は、大統領がブッシュでなくても起こっていた可能性は高い。アメリカ国民の多くがテロへの報復を求めていたからだ。

だが、引き続いて起こったイラク戦争は、ブッシュでなければ起こっていなかっただろう。「サダム・フセインが大量破壊兵器(WMD)を所持している」という主張で国民を説得してイラクを侵略したのだが、結局、WMDは見つからなかった。2016年6月時点での、イラク戦争におけるアメリカ軍人の死亡者数は4424人、負傷者は3万1952人だという。

【参考記事】米メディアはなぜヒトラーを止められなかったか

敬虔なキリスト教徒の一面

ブッシュは、それぞれのポートレートをシンプルな言葉で紹介する。彼らに出会ったきっかけ、負傷したときのこと、回復までの道のり、そして現在の状況を綴り、逆境に負けずに立ち上がった彼らの勇気を讃える。

まえがきでも、目に見える外傷だけでなくPTSDやTBI(外傷性脳損傷)の深刻さも語り、「私は国のために尽くした男女に栄誉を与え、彼らの犠牲と勇気に尊敬の念を示すひとつの方法として」これらのポートレートを描いた、と書いている。そして「残りの私の人生を通して、彼らに敬意を表し、支えていくつもりだ」とも。

ブッシュは、敬虔なキリスト教徒でもある。対テロ戦争が過ちだったとは現在まで認めていないが、多くのアメリカ軍人の死は、彼の胸に重くのしかかっているはずだ。

後遺症に苦しむ軍人とその家族を支援する非営利団体『George W. Bush Presidential Center』を作り、傷を負った軍人らを招いてゴルフをし、彼らのポートレートを描き、その本の収益を前述の非営利団体に寄贈するブッシュ大統領は、自分の罪を償い、魂を清めようとしているような気がしてならない。

だが、その贖罪の対象がアフガニスタンやイラクの民間人まで届かないのは残念だ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

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