国石「ヒスイ」が生まれる東西日本の境界を歩く
◆東西日本の境界線
ヒスイ峡を後にして、いよいよ里に下る。途中、また一つ限界集落があった。こちらには崩れかけた廃墟もあり、峠の手前のあった"静寂の村"よりもさらに寂寞感が強い。世界的に貴重な名所の直近の村がこうも衰退している現実を目の当たりにすると、コロナ前の「インバウンド」に湧いた世相とはなんだったのかと首を捻らざるを得ない。ヒスイ峡周辺で人の気配を感じたのは、国道に合流する手前の集落の郵便局と山菜加工場、そして、人懐こいシェルティ(シェットランド・シープドッグ)がいるヒスイを売る個人商店くらいであった。
国道に出ると道は平坦になり、これまでの山岳風景に代わって米どころ・新潟らしい田園風景が広がった。しばらく進むと、姫川の支流の根知川沿いに、フォッサマグナ西端の「糸魚川―静岡構造線」の断層を見ることができる「フォッサマグナパーク」がある。フォッサマグナを視覚的なイメージとして捉えることができる野外展示である。それは即ち、東日本が乗っている北アメリカプレートと、西日本のユーラシアプレートの境界線である。東日本と西日本の境界だとも言える。
フォッサマグナパークに至る遊歩道には、東西日本の文化の違いをクイズ形式で伝える看板がいくつか立っていた。曰く、「西日本の灯油缶は青色。東日本は?(答え・赤)」「西日本は昆布出汁。東日本は?(答え・鰹出汁)」「西日本では、おむすび。東日本は?(答え・おにぎり)」などなど。こうした文化的な違いが、地質的な境界に即しているのが興味深い。地球の営みと人間の営みはどこかでリンクしているのだろうか。
◆最終回へとつなぐ無人駅へ
フォッサマグナパークを後にした時には夕方の4時を回っていた。朝7時前にスタートして、歩行距離は過去最高の28kmに迫っていた。もう一息体力と気力を振り絞り、フォッサマグナ・ミュージアム手前の大糸線・頸城大野(くびきおおの)駅を目指して国道を進んだ。ヒスイの加工場や販売店がある一角を過ぎると、現代の地域産業を代表する港のセメント工場のシルエットが河口方向に見えた。
頸城大野は、田畑と里山に囲まれた小さな無人駅だった。次回はいよいよ最終回。ヒスイ海岸を目指して糸魚川市街を歩く。
今回の行程: 平岩駅 → 頸城大野駅(https://yamap.com/activities/12647587)※リンク先に沿道で撮影した全写真・詳細地図あり
・歩行距離=28.4km
・歩行時間=10時間48分
・上り/下り=1021m/1237m
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