コラム

「みんなのための資本論」と99%のための資本主義

2016年10月18日(火)16時23分

なぜ中間層は没落したのだろうか?

 映画『みんなのための資本論』の方は、冒頭でも書いたように、ライシュが狂言回し的役割で、彼の視点から「なぜ米国では中間層が衰退し、全人口の1%ほどの人たちに所得や富の集中が出現したのか」をテーマにしている。なかなかよくできていて、1920年代の大恐慌から戦後、そして1979年を起点にして米国がまたたくまに深刻な経済格差に陥る様が、多彩な切り口でわかるようになっている。

 さてなぜ中間層は没落したのだろうか? ライシュは基本的にはグローバル化による競争の激化、そして未熟練労働を置き換えてきたテクノロジーの進歩をあげてはいる。しかし彼はこれは見せかけの原因にしかすぎないとも指摘する。

 この点は映画では若干わかりにくいのだが、映画の原作ともいうべき彼の2010年の著作『余震 アフターショック』(東洋経済新報社、雨宮寛/今井章子訳)では、1979年以降30年ほどの米国経済で雇用を減少させてきたのは、景気循環への対応に失敗したことである。

 ライシュは「1990年代には貿易とオートメーション化技術の進展により古い職種に従事していた何百万人もの労働者が失業したが、当時は好景気であったため他にも職がたくさんあった」と指摘する(前掲書、翻訳63頁)。

 この時期の実質賃金の水準も平均的には安定していた。ライシュによれば問題は「失業の有無」ではない。失業は適切に対応すれば深刻な問題ではないという。むしろ転職した後に得ることができた賃金水準が安定せずに、どんどん低下していっていることに大きな問題があるという。

 この米国の経験は映画版の方ではほとんど描かれていない。映画の方では、さまざまな人種や職業の人たちが直面している生活苦が描かれている。夫婦共稼ぎで子供がひとりいる核家族では、家庭にほとんど貯金がなく、一生懸命労働してもまったく豊かにならない。または逆に枕の生産で財をなした企業家自身が、どんなに所得や富を築いても、自分の消費は大したことはなく、むしろ経済・社会を支えるには富裕層の消費に依存するのではなく、中間層の消費を増やさなくてはいけない、とうんちくを語るシーンなどが流されている。つまり99%の生活に悩む人たちと1%の超リッチな人たちを対照的に描き、アメリカの市民たちの「より貧しくなる」傾向を描くことに映画版はその努力を注いでいる。

 日本のように90年代から21世紀にかけて長期失業や若年層の失職(ロストジェネレーション)が問題になったのとは対照的に、この時期のアメリカの雇用は堅調であり、ほぼ構造的失業の水準にあった。この背景には、アメリカの中央銀行FRBの適切な金融政策やまた財政政策の適用があったのだが、その点については映画の方はまったくふれることはない。特に金融政策への低評価はライシュの主張の特徴といえるかもしれない。なぜか大恐慌のときは、ライシュは金融政策の役割を持ち上げるのだが、他方で現在の問題に関しては、金融政策にはほとんど評価を与えていない。この非対称性は日本でもよく観察できることなので興味深い。

プロフィール

田中秀臣

上武大学ビジネス情報学部教授、経済学者。
1961年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。専門は日本経済思想史、日本経済論。主な著書に『AKB48の経済学』(朝日新聞出版社)『デフレ不況 日本銀行の大罪』(同)など多数。近著に『ご当地アイドルの経済学』(イースト新書)。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

中国自動車ショー、開催権巡り政府スポンサー対立 出

ビジネス

午後3時のドルは149円後半へ小幅高、米相互関税警

ワールド

米プリンストン大への政府助成金停止、反ユダヤ主義調

ワールド

イスラエルがガザ軍事作戦を大幅に拡大、広範囲制圧へ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 9
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 10
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story