「そもそも安定した時代がなかった」シリアの運命はダマスカスとアレッポを結ぶ「回廊の覇者」が決める【地政学】
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シリアの戦いの歴史
南西部のオアシスは、レバノンとの国境を成す山岳地帯と、東側の砂漠との間に挟まれている。首都ダマスカスはこのオアシスの中央に位置する。しかし、全国各地と有機的に結ぶルートが整備されておらず、歴代政権は力によって脆弱国家の内部崩壊を防ごうとしてきた。
北部の商都アレッポは、小アジアとメソポタミアを結ぶ交易の要衝だ。いつの時代も、小アジアを支配する者(東ローマ帝国、オスマン帝国、そして現在のトルコ)は、多くの人でにぎわうアレッポを物欲しげに見てきた。
シリアの政治の中心であるダマスカスにとっても、アレッポは重要なライバルであり、常に支配下に置いておきたい街だった。
外国軍の支援は海から
西部の地中海沿いには小高い山が連なっており、歴史的にアラウィ派(イスラム教シーア派の分派)やキリスト教徒といった宗教的マイノリティーが暮らしてきた(シリアの多数派はイスラム教スンニ派)。
このエリアに位置する都市ラタキアとタルトゥースは世界への玄関口だ。歴史的に、遠方の外国(最初はフランス、現在はロシア)との同盟は、この地域を通じて築かれ、ダマスカスの権力者を支えた。
この地中海沿岸部とアレッポの間には、オロンテス川と平行に南北に走る回廊があり、ダマスカス周辺のオアシスと、アレッポ商業圏を結んでいる。この回廊に位置する代表的な都市が、ホムスとハマだ。