安倍晋三に負け戦を挑んだ石破茂の復活劇
To Build a Post-Abe LDP
対立の代償は大きかった。10月に首相に就任するまでの8年間、石破は一度も入閣せず、党の要職にも就かなかった。安倍の熱烈な支持者には裏切り者と非難された。安倍の辞任に伴う2020年の総裁選で最下位に沈んだのも、これが一因だったに違いない。
所属政党と足並みがそろわなくとも、石破は自身が安倍政権の重大な過失と信じる問題に関して考えを曲げようとしなかった。
そのため党内に味方が少なく、今なお大きな力を持つ右派に嫌われているともっぱら噂されてきた。そんな石破が今年9月27日、安倍の最も忠実な側近だった高市早苗を21票差で破って自民党総裁、つまりは次期首相に選出されたのだ。これは驚きだった。
石破と安倍および安倍支持者の違いは、政策だけにとどまらない。むしろ彼らの違いは党内の根本的な理念の分裂を反映している。
たとえ国民の賛同が得られなくとも戦後に課された制約を取り払い、日本を軍事面でも他の主要国と肩を並べる完全な大国にすることを目指す──これが自民党の伝統だ。再軍備化を提唱した岸信介を祖父に持つ安倍は、文字どおり伝統の継承者だった。
冷戦後、異論は退けるかあるいは吸収する形で、安倍ら党指導者はこの伝統を自民党の主流としていった。
庶民宰相の教えを胸に
片や石破は、これに対抗する系譜に属している。
1980年代に若い石破を政治の世界に引き入れたのは、田中角栄元首相だった。70年代後半にロッキード事件の収賄容疑などで逮捕されてからも、田中は法廷に立ちながら田中派を最大派閥に拡大し、自民党の「闇将軍」として悪名をはせた。