台風の後、河川敷のテントに居られなくなった女性ホームレス。イオンの前から電話が掛かってきた
お母さんから「会いたい」という電話が掛かってきた
翌日の昼、私はお母さんから電話を受けた。イオンの前の電話ボックスにいて、すぐに会いたいとのことだった。
「スーパーの入り口のベンチに座って待っていてください、すぐに行きますから」と私は答えた。
10分後、自転車でスーパーに着いた。お母さんが私の言ったベンチではなく、歩道のそばに座っているのが見えた。自転車を置いて、歩いてそこに行き、彼女と並んで座った。
お母さんは、「隣の人に私たちの話を聞かれたくないので、ここに座って待っていた」と説明してくれた。
窮地に陥り、追い詰められて居場所のない彼女だが、プライドは忘れていないのだろう。
お母さんは昨日の午後、荒川の森を出てから一度も帰らなかったのだという。
彼女が私を呼び出したのは、いま孤独で無力だから。心の中にしまっている言葉を吐き出したいのだ。息子はそばにいないし、何日も電話が繋がらない。周りには信頼できる人も、心を開いて話せる人もいない。
だから、お母さんはもう、日本人が大事にする「他人に迷惑をかけない」という美徳を気にしていられなくなったようで、週末にもかかわらず私を呼び出して、心の内を話したいと言ったのだろう。
実はお母さんの本音は、ホームレスの隣人への不満もあるし、彼女自身の過去のこと、息子のことなどもある。お母さんが何を言っても、私はずっと耳を傾けていた。
このままではお母さんの生活が危ない
お母さんが私に会いに来てほしいと言った日、彼女は手元にあった自作の小さな巾着袋を全部私に渡して、「1つ800円で、また売ってくれませんか」と言った(編集部注:巾着袋については、第7話参照)。
お母さんがそう言って私に頼んだのは、彼女の今の生活に危機があったからに違いない。
私はお母さんに言った。「わかりました。この18個の小さな布袋は全部受け取って、今すぐお会計します」
私は1万5000円を渡して、彼女の手に握らせた。このお金があれば、お母さんは少なくとも10日間くらいは飢えることはないと思った(お母さんの年金口座は息子が握っている)。
お母さんと別れて1時間後、私は買い物をして自転車で一旦家に帰り、再びイオンの前を通ったとき、またお母さんの姿を見た。彼女は今度はスーパーの入り口のベンチに座っていた。そばに傘とショルダーバッグが置いてある。
お母さんは今夜、通行人に見えるこの場所で寝ることはないと思うが、どこに行って寝泊まりするのだろうか。