ピュリツァー賞記者が綴る、戦場を渡り歩いた末にたどり着いた「末期がんとの闘い」と生きる喜び
EXIT PLAN
1980年、カンボジアのクメール・ルージュ(写真はその戦闘員たち)の政権崩壊を取材していたノードランドは、タイの国境地帯で危うくタイ軍兵士に処刑されそうになった ALEX BOWIE/GETTY IMAGES
<世界の動乱を50年間追い続け、米国のジャーナリズムにおける最高栄誉「ピュリツァー賞」にも輝いた筆者がいま立ち向かうのは、悪性脳腫瘍との命を懸けた戦いだ>
ロッド・ノードランドはフィラデルフィア・インクワイアラー紙、本誌、ニューヨーク・タイムズ紙の外国特派員として50年近く活動し、ピュリツァー賞にも輝いた。
ニカラグア、カンボジア、ボスニアからアフガニスタンまで150を超える国で戦争や政変を追うのは、死と隣り合わせの日々だった。
そんなベテランジャーナリストが2019年、私的な戦いに直面した。膠芽腫(こうがしゅ)と診断されたのだ。膠芽腫は最も悪性度の高い脳腫瘍の1つで、アメリカでは毎年約1万2000人が新たにこの病気と診断される。
5年後の生存率は約6%と低く、ジョー・バイデン大統領の息子ボウやジョン・マケイン上院議員も膠芽腫に命を奪われた。
ノードランドは闘病のさなか、自分が最も得意とすることをした。つまり書き続けた。死の淵で癌との戦いと記者人生を見つめた回想録『モンスーンを待つ(Waiting for the Monsoon)』(マリナー・ブックス刊)から、一部を紹介する。
過去の戦争の記憶に埋もれた退屈な年寄りになり、強烈だが古くさい体験談をやたらと吹聴する──。これは、外国特派員が陥りがちな危機の1つだ。
私はそんな人間になりたくないし、この本で取り上げるのは昔話だけではない。そうした戦場とは性質の違う、私が今いる戦闘地域について主に書いている。
けれども過去を振り返り、今の私には間違いなく「明日」より「昨日」のほうが多いのだとしみじみ実感するにつけ、思いは若く丈夫で自分は不死身だと信じていた頃に経験した絶体絶命の危機に飛ぶ。
そうした出来事の1つが起きたのは、フィラデルフィア・インクワイアラーの仕事でタイを取材していたときだった。
翌朝処刑されると決まった数人の記者仲間と私は、その晩カードゲームのジンラミーに興じていた。すると私たちがノートを破って作った粗末なトランプを監視の兵士たちが没収し、カードゲームは違法だと言い放った。
「へえ、でも裁判もしないで人を処刑するのはオーケーなんだ?」と私が片言のタイ語で言い返すと、兵士の1人に「フッパーク」と怒鳴られた。「黙れ」という意味だ。
時は1980年、ベトナム軍がクメール・ルージュを壊滅させるべくカンボジアに侵攻していた。隣国タイの国境地帯には難民キャンプが作られ、カンボジアから逃れてきた数万人が身を寄せた。
タイ軍が私たち記者を連行したのは、私たちがカンボジア側でタイ兵の姿を目撃したことに腹を立てたからだった。タイの兵士は国境を越えることを禁じられていた。