少年犯罪の元終身刑囚が語る「16歳で犯したクリスマスの殺人事件」偽りを捨て得た許しの真実
I Killed When I Was Sixteen
自らの犯罪と獄中体験を直視し、今は自由になったと語るオリビエ THOMAS NELSON
<あの日、ギャング気取りで14歳の少年を殺して未成年ながら終身刑に。刑務所で正しく生きることを学んだという筆者が被害者の母親へ謝罪し、自由を得るまでの道のり>
「無実です」。1991年のクリスマスの日の事件について法廷で質問されたとき、私はそう答えた。14歳の少年の殺害に関しては何も知らないと主張した。嘘だった。
その夜のことは全て覚えている。ルイジアナ州出身の私は当時16歳。ギャングスタイルで、銃を腰に差して街を歩くと生きていると実感できた。
午後9時頃、私は友人のリーキーとニューオーリンズのカナル・ストリートにいた。こっちを見ている男たちがいると、リーキーが言った。10人の集団の中心に、私たちと因縁の仲のダッキーがいた。
私たちは歩いた。彼らは付いてきた。バス停で待つ人々の中に紛れ込むと、すぐバスが来た。乗ろうとしたとき、肩をつかまれて引っ張られた。振り向くと、彼らがいた。
私は銃を抜いた。私をつかんだ少年を撃ち、何度かダッキーを撃ち、それから最後の1発をまた少年に撃った。
飛び乗ったバスの中で、高齢の男性が叫んでいた。「奴ら、強盗だよな。俺はちゃんと見てたぞ!」
私は自分に同じことを言い聞かせた。正当防衛だった、と。だが、本当は違うと知っていた。それに、死んでるはずはないと考えていた。
翌日、地元のニュース番組で、カナル・ストリートからの生中継を目にした。殺人事件で、1人が死亡したという。それでも、未成年だから大丈夫だと自信があった。警察へ行き、強盗未遂の話をした。
数カ月後、私は裁判にかけられていた。容疑は最も重い第1級殺人だった。
評決を待つ間、死刑に怯える私は、母の言葉を思い出した。「大変なことになって、私も助けてあげられないときは、神に助けを求めなさい」
私は祈った。「神よ、生かしてもらえるのなら、私は残りの人生を懸けてあなたに仕えます」。1時間後に聞いた評決は第2級殺人で有罪。仮釈放なしの終身刑だった。
被害者の母親との対話
当初は刑務所で生き残るのに必死だった。
だが徐々に、聖職者や受刑者仲間など、私を気にかけてくれる人に出会った。彼らに励まされて高校卒業資格を取得し、聖書学校で学び、法律の勉強をした。正しく生きるとはどういうことか、彼らは教えてくれた。
あの時祈ったとおり、私は変わったのだ。
ただ一つ、欠けていることがあった。殺害した少年の母親に、私は謝罪したかった。
ようやく機会が訪れたのは、服役してから25年以上が過ぎたときだ。
米連邦最高裁判所が、未成年者に対する終身刑に違憲判断を下したことがきっかけで、法廷で仮釈放を要望するチャンスを手にした。