「上海協力機構」を西側諸国は冷笑するが、実は着々と「中国的・同盟」は拡大中
China’s Central Asia Focus
(左から)SCO首脳会議に臨むインドのモディ首相、カザフスタンのトカエフ大統領、キルギスのジャパロフ大統領、習国家主席、ウズベキスタンのミルジヨエフ大統領(9月16日、ウズベキスタン) SULTAN DOSALIEVーKYRGYZ PRESIDENTIAL PRESS SERVICEーREUTERS
<習近平がコロナ後初外遊先カザフスタンを選んだのには深い理由が。今や世界人口の40%を擁する上海協力機構は、今や大きな意味を持つ>
9月14日、中国の習近平(シー・チンピン)国家主席はカザフスタンを訪問した。習が新型コロナウイルスのパンデミック後初の外遊先に中央アジアを選んだことは意外ではない。
現代中国と中央アジアの関係は1991年末のソ連崩壊から始まった。ソ連崩壊は中国にいくつかの「遺産」を残した。1つは共産主義の支配構造を崩壊させないための教訓。もう1つは中国が特に神経をとがらせる地域に隣接する国境の紛争地帯で、こちらは中国の中央アジアとの関係の根底をなす問題となった。
ソ連の崩壊で中国は突然ロシア、カザフスタン、キルギスタン(現キルギス)、タジキスタンの4カ国と新たに国境を接することになった。ソ連との国境は常に辺境で境界も未画定だったため、新たに誕生したこれら4カ国との関係を確立し、国境を画定し、国境周辺の紛争地域の非武装化を図る必要があった。
そこで中国は96年、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ロシアと5カ国による協力体制「上海ファイブ」を創設。国境を画定し、今後の軍の駐留や越境貿易、これら4カ国との関係の在り方を確立することを目指した。
ところが上海ファイブは当初の目的をはるかに超えて拡大し、(少なくとも中国から見れば)非常に成功した。そのため、2001年にはウズベキスタンを加えた6カ国で上海協力機構(SCO)と改称し、正式発足した。
加盟理由は各国それぞれで、中国の関心が終始SCOの経済協力強化にあったのに対し、他の加盟国はやや懐疑的だった。結局、全会一致で支持されたのはSCOをテロ対策に主眼を置いた安全保障体制に発展させることで、SCOは中国が創設した初の国際的な安全保障の枠組みとなった。
国際社会で弱腰だった中国の変化
これは大きな前進だった。中国がSCO構築を主導していたのだから。それまで国際社会ではどちらかといえば弱腰で、当時まだ「韜光養晦(とうこうようかい、身を低くして時節を待つ)」という外交・安全保障の方針に徹しがちだった国がである。
ソ連崩壊以降、中国は中央アジアを通るシルクロードの「復活」を模索してきた。当初は中央アジアから東部沿岸までパイプラインと鉄道を建設し、好調な日本市場の、中央アジアの石油や石炭や天然ガスに対する需要に対応することに主眼を置いていた。だが中国経済の急成長に伴い、中国国内でこれらの資源の需要が高まり、新興市場との結び付きも求められるようになって、状況は一変した。