安倍晋三は必ずしも人気のある指導者ではなかった(伝記著者トバイアス・ハリス)
CONTROVERSIAL TO THE END
安倍は、このビジョンの追求が必ずしも国民に支持されるとは思っていなかった。しかし、それでも変化の必要性を信じて突き進んだ。
2006年の著書『美しい国へ』(文春新書)の序文で、彼は政治の世界を、どんな批判を受けても自分の信念を貫く政治家と、そうでない政治家に分けている。当然、自分は前者と考えており、マスコミや学界、野党、官僚、さらには自民党内の戦後レジーム擁護派と闘う覚悟でいた。
2002年に小泉純一郎首相を促して北朝鮮に行かせ、当時の金正日(キム・ジョンイル)総書記から日本人拉致被害者についての情報を引き出した。第2次政権ではアベノミクスを打ち出し、世界の注目を集めた。
それで人気が高まった時期もあるが、たいていの場合、安倍に対する評価は二分されていた。
自民党の保守系若手議員は安倍に強い忠誠心を抱き、2007年に彼が健康上の理由で辞任した後も忠誠を誓い続けた。その多くは波瀾万丈の第2次政権も支えた。
しかし安倍に反発する人々の敵対心も激しかった。まるで独裁者だという非難は絶えず、一部の政策に関しては大規模な抗議行動が繰り返された。
実際、第2次安倍政権に対する国民の支持は、お世辞にも熱烈とは言えなかった。野党よりは自民党のほうがましだと思い、自民党政権のもたらす安定を買っていたにすぎず、むしろ国民の過半数は安倍の進める政策を嫌い、政権末期に浮上した一連の疑惑に愛想を尽かしていた。
「国葬反対」が意味するもの
安倍の率いる連立与党が2012年、2014年、2017年の総選挙を続けて制したのは事実だが、これら選挙の投票率はいずれも戦後最低水準だった。安倍の率いる自民党は2012年の総選挙で政権復帰を果たしたが、そのときの得票数は惨敗に終わった2009年の総選挙より少なかった。安倍政権で最後の国政選挙は2019年の参院選だったが、このときの投票率は1995年以来初めて、50%を割り込んでいた。
つまり、安倍は選挙に勝ち続けたが、大多数の日本人に支持され、あるいは愛されていたとは言い難い。
いわゆる「戦後レジーム」とその象徴としての憲法が今も日本人に支持されているのか、あるいは安倍の強引で、時に独裁的な政治手法(数の力で押し切る議会運営や、批判に耳を貸さない姿勢)が嫌われたのかはともかく、安倍は決して人気のある指導者ではなかった。