3つの矛盾が示す、ミャンマー軍事政権の邦人拘束と「ずさん捜査」
Slipshod Accusations
証拠の有無は気にしない
そして3番目は、筆者が昨年4月に拘束された経緯だ。報道官は会見で、国軍トップのミンアウンフライン司令官が8月11日、首都ネピドーで会談した渡辺博道衆院議員に伝えた内容を明らかにした。
それによると司令官は「以前の日本人記者(筆者)は、報道ビザを取得しており、本物の記者であった」と述べ、判決を待たず約1カ月で解放された筆者との違いを強調した。しかし筆者は、現地で立ち上げた情報関連企業の経営者として商用ビザと在留許可を得ていたのであって、報道ビザは取得していない。
犯行日など起訴事実に大きく関わる誤りがあれば、民主主義国の裁判制度では無罪となっても不思議ではない。これほどまでにミャンマー当局の捜査がずさんなのには歴史的な理由がある。
1960年代以降の長い軍事政権の中でミャンマーの裁判所は軍の強い影響下に置かれ、捜査当局の追認機関となっていた。政変まで5年間続いたアウンサンスーチー国家顧問率いる国民民主連盟(NLD)政権でも、司法改革は進まなかった。
この国では裁判官は事実関係や証拠に関わりなく有罪を宣告する。このため、当局は証拠の有無を気にする必要がないどころか、しばしば架空の事実をでっち上げてジャーナリストらを犯罪者に仕立て上げてきた。
2018年にロイター通信の現地記者2人が国家機密法違反罪に問われた際には、警察官があらかじめ2人に機密文書を渡し、その直後に別の警察官が逮捕している。事件に関与した警察官が「罠にはめろと命令された」と法廷で証言したにもかかわらず、2人は禁錮7年の有罪となった。
昨年2月の政変から1年半がたち、ミャンマー情勢は深刻の度を深めている。当初は数百万人の規模で抗議デモを繰り返していた若者らは、翌3月に自動小銃の掃射でデモが鎮圧されると、中国やタイとの国境にある少数民族武装勢力の支配地域に逃れた。
若者の一部はその後武装勢力の軍事訓練を受けた。そして9月、民主派勢力でつくる国民統一政府(NUG)が武装蜂起を呼び掛け、国軍との内戦に突入した。