沖縄、本度復帰50年 対中国の最前線として進む「要塞化」
沖縄が日本に復帰する前年の1971年、日本政府は建設中の下地島空港について、民間航空の利用に限るとした文書を琉球政府の屋良朝苗主席(後の県知事)と交わした。「屋良覚書」と呼ばれるもので、沖縄の基地反対の象徴となってきたが、自民党国防議員連盟は2020年、自衛隊による空港使用を提言した。
議員連盟の事務局長だった佐藤正久参議院議員は、「自衛隊のF15戦闘機が離発着できる滑走路を持っているのは、沖縄本島以外は南西諸島で下地島空港しかない」と話す。「ウクライナを見れば分かるように、自分が防衛努力をしないと他の国は支援してくれない」と、佐藤議員は言う。
強まる保守化の流れ
自衛隊が沖縄でさらに拠点を増やすには地元の支持が欠かせない。しかし、日本復帰後も米軍の拠点が集中し、基地への反発が強い中では難しい。試金石となるのは9月の沖縄県知事選。無所属の玉城知事は米軍基地の縮小を訴え、再選を目指す構えだが、県全体で保守化の流れは強まっている。
自民党・宮古島市議を8年務めた浜元雅浩さん(48)は「国政選挙を見る限りは(沖縄県で)保守系の当選が続いていることもあるので、(自民党の支持は)増えているのではないか」と話す。「沖縄県の中で米軍の配備に反対している人は多いが、それと自衛隊とは分けて考えるべきだと思う」と、島で酒や食料品の卸を経営する浜元さんは言う。
那覇市で建設業を営み、実家のサトウキビ畑の収穫を手伝いに宮古島へ帰省していた60代の男性は、米ドルが流通していたころのことを覚えている。「楽しかったような記憶がある」と振り返る男性は、基地が配備されると攻撃対象になりかねないと懸念する。
その一方、ぜい弱な沖縄経済のことを考えると自民党に票が集まるのは仕方ないと考えている。「自民党に投票するのか、玉城さんに投票するのか、まだ決めていない」と男性は語り、耕運機のエンジンをかけた。
(Tim Kelly 編集:久保信博、橋本浩)
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