『ドライブ・マイ・カー 』がアメリカの映画賞を総なめしているワケ
だが、そうすると、ありがちな話になってしまうだろう。普通ならば友達になるはずのないふたりが期せずして同じ車で時間を過ごすようになり、そのうちに絆が築かれていく、というパターンは、決して目新しいものではない。たとえば『ドライビング・ミス・デイジー』も、『グリーンブック』もそうだ。どちらもオスカー受賞作だし、それが悪いというわけではない。しかし『ドライブ・マイ・カー 』は、アメリカの映画の時間感覚の「常識」を気にかけもせず、堂々と、ゆっくりと語る。そのため、観客はリアルタイムで登場人物たちを見つめているような気持ちになり、だからこそふたりの関係が少しずつ変化していくことにリアリティを感じる。
そして、これがまた退屈ではないのだ。それもまた業界人にショックを与える大きなポイントと言える。ハリウッドのフィルムメーカーは、しばしば「観客は自分たちが思うより頭が良い。観客を信じるべきだ」と言うものの、その一方では、次々何かが起こっていないと観客は飽きてしまうという恐れを持っていたりもする。だが、濱口監督は今作で、完全に観客を信じている。その勇気、大胆さ、芸術家としての妥協のなさに、同じく映画を作る人たち、あるいは映画を作る人たちをずっと見てきた人たち(批評家)は、感嘆せざるを得ないのだ。
やはり映画館で見なければならない映画
ただ、そんなこの映画の良さをわかるためには、やはり映画館で見なければならないと思う。アワードシーズン中、投票者は、送られてくる視聴リンクで作品を見ることが多いが、この映画の場合はとくに、3時間もあることから、家で見たら一旦停止を何度かしてしまうかもしれない。そうすると、リアルタイムで登場人物たちと一緒にいるという感覚が薄れてしまう。
賞の投票権を持つ筆者の友人にも、まだ今作を見ていない人が何人かいて、「見たほうがいい?」と聞かれるが、筆者は必ず「リンクではなくて、劇場で見たほうがいい」と勧めるようにしている。そこはかなり大事だと思うのだ。2ヶ月後に迫ったアカデミー賞の作品部門で大健闘できるかどうかには、「劇場で、最初から最後まで席に座って見るか」という、この基本的なところが、結構関係してくるのではないだろうか。