台湾のTSMCはなぜ成功したのか?
台湾のTSMCと張忠謀会長(2017年) Yi-ting Chung-REUTERS
台湾の半導体ファウンドリTSMCは世界の半分以上のシェアを占め米中ハイテク戦争の争奪対象となっているが、TSMCはなぜそこまで成功したのだろう。なぜ日本にはその手の企業が出てこないのか。
半導体設計と受託製造を切り離す発想
どんな企業にも創業者の苦節物語が背後にあるものだが、今では世界最大手の半導体ファウンドリ(受託製造企業)TSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company、台湾積体電路製造=台積電)の創業者・張忠謀(ちょうちゅうぼう)(モリス・チャン)も例外ではない。
1931年に中国大陸の浙江省で生まれた張忠謀は、戦乱を逃れて1948年に一家で香港に移住し、1949年に渡米してハーバード大学に入学。紆余曲折のあと1958年からテキサス・インスツルメンツ(TI)で働き始め、IBMの大型コンピュータの一部品であるトランジスタ製造に当たった。良質のトランジスタ製造には多くの困難があったがそれを克服し、高い評価を得た。
1985年、台湾政府(孫運璿経済部長)から招聘されて、官民資本により1973年に設立されていた工業技術研究院の院長に就任。台湾としては当時、世界を席巻していた日本の半導体のような半導体産業を振興させ台湾の基幹産業にしたいと新竹サイエンスパークも建設していた。
しかし台湾には半導体設計を担えるような優秀な技術がなかったので、張忠謀はTIでのトランジスタ受託製造の経験から、「他社が設計した半導体を製造するという業務だけを担うファウンドリを立ち上げたい」という着想に至った。当時としては奇想天外な発想で、巨額の投資を必要とする生産ライン整備に投資をしようとする企業はなく、このころ世界に冠たる日本の半導体企業は、すべて張忠謀の申し出を断っている。
唯一賛同したのはオランダのフィリップスで、TSMCは1987年に設立された。
米シリコンバレーのベンチャー企業と共鳴
同じころ、アメリカ・カリフォルニアにあるシリコンバレーでは、小規模のベンチャー企業が誕生し、最先端の半導体設計(デザイン)に成功した企業が続々と現れたが、何せそれを半導体チップとして製造するには膨大な資金がかかる。その生産ライン確保は小さなベンチャー企業には夢のまた夢だった。
そこに現れたのがTSMCだ。