大谷翔平は既にメジャー100年の歴史を覆し、アメリカの「頭の固い」ファンを黙らせた
The Pitcher-Slugger Phenom
4月4日の試合では球界トップクラスの投球と歴史に名を刻む本塁打を披露した KEVORK DJANSEZIAN/GETTY IMAGES
<アメリカで投打同時出場を果たし、剛速球と特大本塁打を披露。日本から来た26歳が「ベースボール」100年の歴史を変える>
その日、大谷翔平(26)は自らの「二刀流」の実力を見せつけるのを待ち切れない思いだったのかもしれない。
4月4日のシカゴ・ホワイトソックス戦。ロサンゼルス・エンゼルスの先発投手として1回表を0点に抑えた大谷は、直後の1回裏に「2番・投手」として打席に立つと、いきなり初球を強振した。高めの速球に対してバットを水平に振り抜いた瞬間、木が切り倒されたような音がスタジアムに響いた。
それは、大谷がボールを、そして大リーグの常識をひっぱたいた音だった。野球界には「投手と野手は分業」という考え方が長く根付いてきた。その歴史は、現存するほぼ全ての野球場よりも古い。
大リーグで先発投手が2番打者を務めるのは1903年以来のこと。アメリカン・リーグで投手が打席に入るのは、73年に指名打者制を採用して以来4人目だ。20世紀前半の二刀流選手として有名なベーブ・ルースも、本塁打を量産するようになって以降は登板の機会が減っていった。
そう、大谷は100年間続いた歴史を覆そうとしているのだ。誰だってこの若者に声援を送らずにいられない。
厳しい目で見られていた投手の能力
この歴史的な打席で大谷が放ったライナーは、右中間席に深々と刺さる本塁打になった。飛距離は137メートル。打球速度は時速185キロ。これは大リーグに現在のデータ解析システムが導入された2015年以降、エンゼルスで最速だ。大谷はマイク・トラウトやアルバート・プホルスといった強打者たちの記録を塗り替えたことになる。
大谷がホームランバッターの資質を持っていることは、誰もが知っていた。18年に大リーグにデビューしてからの成績を見れば、故障なく1シーズンを過ごせれば30本塁打を打つ実力はあるはずだ。
厳しい目で見られていたのは、投手としての能力のほうだ。右肘手術明けの19年は投手としてのシーズンを棒に振り、20年はコロナ禍により日程が大幅に短縮されたとはいえ、登板2試合、投球回数わずか1回2/3にとどまった。
しかし、4日の登板では最速162キロを記録。強打のホワイトソックス打線をほぼねじ伏せ、5回の2死まで投げて7つの三振を奪った。ただし制球には不安をのぞかせ、5つの四球を与えた。
5回表のマウンドで、とんでもない珍プレーが起きた。空振り三振に仕留め3アウト目を奪って5回を投げ切ったはずが、捕手がボールを後逸。打者振り逃げの間に走者2人の生還を許した上、本塁上の交錯プレーで転倒して降板した(大事には至らなかった)。