中国の弾圧で人権を踏みにじられるウイグル女性たち 悲惨な虐待の実態と、必死の抵抗
UIGHUR WOMEN AT THE FORE
でも負けてはいない。アサトによると「生き延びた人や彼らの支援者が、愛する人のために声を上げている。それは自分と自分の肉体の自主性に対する国家テロに屈することなく、社会における自分自身の力と立場と声を取り戻そうとするパワフルな女性たちの物語」なのだ。
犠牲者自らが働き掛ける
女性たちは政府によって虐げられたが、その苦しみを超越して闘い始めた。中国政府による弾圧と新疆の危機的状況の中で最大の犠牲者にされながら、同時にこの2つの問題について国際社会の理解を形成するための運動の先頭に立っている。
その1人、米テネシー州メンフィスで小学校の教師として働いていたギュルルイ・アスカルが新疆にいる親族の身柄拘束を知ったのは16年11月のことだ。ウイグル自治区の区都ウルムチに暮らす甥のエクラム・ヤルムヘメドから借りていた約1万ドルを返済するために彼に送金したら、その直後に彼は連行され、数カ月後には彼の兄弟も身柄を拘束された。
アスカルは甥2人の失踪をアメリカで公にしようと思った。同じ頃、義理の兄弟も身柄を拘束されていた。だが現地で暮らす母親とネット経由で話すと、余計なことはするな、黙っていろと言われた。
「私たちウイグル人は、いわば無力感を教え込まれている」とアスカルは言う。何十年も平和的な抗議活動を続けてきたけれど、何度も暴力的につぶされてきた。だからウイグル人の親は今、もう何もするなと子に教えるようになっている。
だからアスカルも黙ることにしたが、それが身体的なストレスとなった。眠れなくなり、ストレス性胃炎に悩まされた。18年4月には母とも連絡が取れなくなった。パソコンからスカイプで呼び出しても応答がない。高名な言語学者の兄も19年1月に身柄を拘束された。やがて親しい親戚がメッセージアプリのウィーチャットで伝えてきた。「親族の男はみんな連れて行かれた」
だがアスカルは絶望の底にいたとき、09年7月のウルムチ騒乱に際して立ち上がった女性たちの例を思い出したという。「あの救い難い状況の中でも、あの人たちは立派に立ち向かい、教えてくれた。弾圧あるところに抵抗ありなのだと」
そこで彼女は、もう黙っていられないと夫に告げた。「もう目を覚まさないといけない。協力してくれるジャーナリストを探そう」
報道から始まった支援
最初に接触したのはワシントンにいるラジオ・フリー・アジア(RFA)の記者グルチェフラ・ホジャ。ホジャもウイグル人で、新疆での弾圧初期から報道に携わっていた。