同性愛者であることを明かさないまま逝った母へ
My Mom Never Came Out
家族の真実を本にしたことで、私は過去を客観的に見つめられた COURTESY OF HELEN GARLICK
<私は両親がハグやキスをするのを見た記憶がない。母が遺したメモには「レズビアン」という言葉があった>
私の母は、世間の母親たちとは違っていた。金髪で高貴なほど美しく、内省的で謎めいていて、まばゆいばかりの笑顔の持ち主だった。彼女が現れると誰もが目を奪われた。
1954年に母と出会ったとき、父は英ケンブリッジ大学で古典の研究をしていた。母は父の父親が営む家具店で事務の仕事をしていた。おばのジュディによれば、互いに一目ぼれだったらしい。
両親は父が法学を修めるとすぐに結婚した。父はイギリス中部ドンカスターに法律事務所を開き、母は私をおなかに宿しながら仕事を手伝った。私が生まれ、2年後には弟デービッドが生まれた。父は法律家として成功し、地元ヨークシャーの弁護士会会長を40年以上にわたって務めた。
はた目には完璧な家族だった。でも内部には常に緊張があり、真実を覆い隠すような沈黙があった。母は美容院で髪を短くするのが好きだった。母が髪を切ってくると、父はその後きっかり4日間、母に話し掛けなかった。
両親は互いにほとんど触れ合わなかった。カメラを向けられれば笑顔で応じ、父が母の肩を抱くこともあった。でも私は、2人がハグやキスをしているのを見た記憶がない。
両親はリベラルで教養もあった。母が大勢の人を招いて自慢の料理を振る舞うパーティーには、同性愛者であることを公にしている友人たちも顔を見せた。母の長年の女友達グエンもその1人だった。
やがて私も弁護士になるための勉強を始めたが、81年に弟が自殺した。父はその事実を頑として受け入れず、事故だったことにしていた。私は後に何があったかを知り、両親の死後、弟の死の真実を記録しようと決心した。
弟が死んだ悲しみで両親は絆を深めたようだった。ただ思い出すのは、両親の間に何か問題があるのかと尋ねたときの母の強い言葉だ。「お父さんは離婚なんかしない」