娘は14歳で殺された 銃犯罪、被害者家族の「喪失の日々」
“The Pain Never Ends”
愛する娘のジェイミーを失った苦しみを乗り越えることはできない COURTESY ORANGE RIBBONS FOR JAIME
<銃乱射事件で犠牲になった高校生の母親が語る。「今すぐ銃規制の強化が必要であることは、一瞬でいいから私と入れ替わってみれば分かる」>
2018年2月14日、フロリダ州パークランドの高校で起きた銃乱射事件で、娘のジェイミーが殺されてから3年が過ぎた。
3年間──。長い時間のように聞こえるが、私にとっては今も昨日のことのようだ。
事実、なぜ私がいまだに事件を「乗り越えて」「前へ進む」ことができないのかと不思議に思う人々がいる。でも、それは容易なことではない。
愛する者をあれほど暴力的に奪われる。その苦しみの現実は過酷だ。眠れず、事件当日の一部始終がたびたびよみがえる。事件後の数週間、数カ月間、数年間の出来事も。
トラウマを受けた脳は決して回復しない可能性がある。自分自身を守ろうと脳は激しく活動するが、それでもこぼれ落ちてしまうものがある。
頭がぼんやりして、名前や単語を思い出せず、何を考えていたのか分からなくなることがしばしばだ。常に疲れ切っているが、正義を求めて闘い、愛する者の名をとどめるために力を奮い起こすことはなぜかできる。
ソファにも食卓にも、車の中にも愛する者の姿が欠けている。家族が不完全になり、元には戻らない。休日はほかの人たちが家族の集まりを楽しむなか、墓地で過ごす。お祝いをすることはなく、昔はこうだったと思い出にふける。
今の私は未来に向けて生きるのでなく、その日その日を生きている。1日を終えるだけでも十分に大変で、未来があるかは分からないから。
公正な裁きを辛抱強く待とうとしているが、それは無理だ。事件をめぐる公聴会のありさまを目にしているし、裁判自体も延期され続けている。
私たちはずっと「あの人たち」であり続ける。わが子を悲劇的な形で失った人たちだ。その喪失が、アメリカ各地の子供、10代の少年少女、大人が「もううんざりだ」と声を上げるきっかけになった。
悲劇的事件に飛び付く人
銃乱射事件は捏造で私の娘には何も起きていないと、常軌を逸した陰謀論を唱える人々は、一瞬でいいから私と入れ替わってみるべきだ。穴のあいた心を抱えて生きる意味が分かる。悲劇的事件に飛び付いては忘れ去る議員たちが、さらに心を傷つける。
あの頃、より厳格な銃規制法が存在していたら......。
犯人が自宅に所持していた銃器の1つで、私の娘と16人の人々が追い詰められた。犠牲者のうち3人は勇敢な教職員で、残りの14人は素晴らしい若者だった。危険で不安定と見なされる人が銃を手にすることがないよう、身元確認を強化することも必要だ。