最新記事

中国マスク外交

中国「マスク外交」の野望と、引くに引けない切実な事情

THE ART OF MASK DIPLOMACY

2020年6月26日(金)18時28分
ミンシン・ペイ(本誌コラムニスト、クレアモント・マッケンナ大学教授)

200630p184.jpg

香港の治安警察に囲まれる民主派デモの参加者(5月27日) TYRONE SIUーREUTERS

やる気はあっても力不足

19年末の政府債務はGDPの40%未満だと当局は主張するが、IMFの推計では80%を超えている。中所得国としてはかなりの高水準だ。

家計消費に成長を頼ることも困難になるだろう。パンデミックで失われた雇用は7000万人以上。今年は中国の大卒者870万人の相当部分が就職できそうにない。

家計も高水準の負債を抱えているため、消費の回復も期待できない。ここ数年、中国の消費者も政府と同様に多額の借金を積み上げ、現在の家計負債はGDPの56%に膨れ上がっている。クレジットカードの融資総額はアメリカを上回る。

以上のような経済的苦境を考えれば、中国経済が早期にコロナ以前の力強さを取り戻すことは難しそうだ。経済が停滞すれば、共産党は中流層の支持を失う危険性がある。中国の中流層は数十年間の繁栄を享受してきた後、初めて生活水準の低下を経験する可能性が高い。

社会不安が高まりかねない状況を受けて、習はこれまで以上に強権的な権力維持策を取らざるを得ないはずだ。新型コロナの感染拡大後、習は権威を高めるため、汚職との戦いを口実に党内で新たな粛清を断行している。4月以降、公安省の副大臣を含む4人の高官が身柄を拘束された。

共産党は同時に弾圧の強化にも乗り出した。これまでに著名な不動産王など、習近平に批判的な大物が次々に拘束されている。香港への国家安全法導入は、どんな犠牲を払ってでも反対派をつぶすという共産党の決意を改めて示すものだ。

経済の低迷が政権の正当性を傷つけかねない事態に直面した共産党は、ナショナリズムのアピールに力を入れている。短期的には、この戦術は奏功しているようだ。

アメリカの経済・外交両面での対中攻勢は中国の力を弱めたかもしれないが、同時にアメリカはあらゆる手段を使って中国の封じ込めを図っているという共産党のプロパガンダに説得力を与える結果になった。習近平の強権的な統治とナショナリズムに頼る戦略は一定期間、習の権力と共産党の一党支配の維持に成功する公算が大きい。

だが、国家統制型の経済政策と米中冷戦は徐々に経済の停滞を招くはずだ。そのため中国当局の最優先課題は対外的な拡張ではなく、体制の存続になる可能性が高い。

中国政府がもっぱら国民の歓心を買うため、近隣諸国、特に台湾に対して居丈高な姿勢を維持することは間違いない。それでもアメリカとの直接的な軍事衝突という悪夢の可能性は、ほぼ確実に中国の行動を抑制するはずだ。従って中国の威嚇を本気と受け取るべきではない。

結局のところ、エスカレートする米中冷戦、厳しい地政学的環境、国内の経済ファンダメンタルズ悪化という複合的な圧力が、中国の対外的な影響力拡大に歯止めをかけるはずだ。新型コロナのパンデミックは中国政府にとって絶好のチャンスになるかもしれないが、その野心を後押しする富や人的・物質的資源の余力は乏しい。

たとえ中国政府にその気があったとしても、実行する力はない。

<本誌2020年6月30日号「中国マスク外交」特集より>

【話題の記事】
傲慢な中国は世界の嫌われ者
「中国はアメリカに勝てない」ジョセフ・ナイ教授が警告
日本が中国と「経済的距離」を取るのに、今が最適なタイミングである理由
木に吊るされた黒人男性の遺体、4件目──苦しい自殺説

20200630issue_cover150.jpg
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2020年6月30日号(6月23日発売)は「中国マスク外交」特集。アメリカの隙を突いて世界で影響力を拡大。コロナ危機で焼け太りする中国の勝算と誤算は? 世界秩序の転換点になるのか?

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 7
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 8
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 9
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 10
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中