『表現の不自由展』騒動がみせた日本の不自由と無頓着
『表現の不自由展・その後』の再開を伝えるあいちトリエンナーレ2019のホームページ aichitriennale.jp
<検証委員を務めた岩渕潤子・青山学院大学客員教授が語った憲法への理解不足や美術教育の危機、そして天皇作品の日本的センチメント>
テロ予告や脅迫を含む大量の抗議に遭い、展示を中止していた「あいちトリエンナーレ」の企画展『表現の不自由展・その後』が10月8日に再開された。不自由展をめぐっては、政治家たちの「検閲」とも取れる発言が相次ぎ、いったんは助成を決めた文化庁が補助金の全額不交付を発表するなど異常ともいえる事態が発生。表現の自由やタブーをめぐり、今も議論が続いている。
愛知県が設置した「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の中間報告(9月25日発表)では、展示が中止となるまでの経緯や混乱の原因、トリエンナーレ開催に関する改善策などがまとめられた。一連の騒動が浮き彫りにした今後の課題などについて、美術館運営・管理の研究者で、検証委員会委員を務めた岩渕潤子・青山学院大学客員教授に話を聞いた。
――検証委員会では、かなり短期間でさまざまな問題を検討したと思う。
8月16日に第1回目の検証委員会が開かれ、9月25日に中間報告を出したというのは、自治体の第三者検証委員会としてはすごいスピード。普通は事務方が出してきたものを委員らが目を通し、ちょっと手直しするようなパターンが多いと思うが、今回は委員自身が原稿も書いたりした。みんな忙しい中で、朝5時くらいから9時くらいまでメールのやり取りがあって、夜は10時くらいから午前1、2時まで、オンライン・キャンプみたいにずっとやり取りをして資料を作りました。
問題になり始めた当初、何か大変なことが起きていると思いつつ、十分な情報がなかったので、続報を待つという感じだった。それが、大村知事が検証委員会を立ち上げると記者発表した日(8月9日)の午前中に、知事本人から電話があったわけです。今日夕方に記者発表をする前に、検証委員に就任して頂くというご本人の同意を得なくては、と。
知事は、教条的といってもいいくらい憲法を遵守しようという姿勢がある。政治家として表現の自由について、とても強い意志を持っておられ、電話では15分くらい、そのことを熱く語られました。とても真面目に取り組もうとしておられるのが印象的でした。
名古屋市の河村たかし市長が、展示内容について「日本人の心を踏みにじる」と言っているのは、どういう立場での発言なのか。私人としての感想であれば、当然何を言ってもかまわない。でも、その後の言動を見ていると、市長という立場をどう考えているのか疑問です。典型的なポピュリストだと思いますが、一部有権者の心の琴線に触れるというか、時代の空気みたいなものに迎合するというか......彼はそれで人気があるわけですよね。市長の言動を支持している人がいて、似たような感想を抱いている人が一定数いるのは確かだと思います。
大村さんは対照的に、気分で何かを言うということがなくて、サポートチームや私たちの話もよく聞いてくれて、その上で正しいと思うことを話している。その辺りが、温情がないと見られてしまう原因かなとは思うのですが、2人の対照的なところが興味深い。ある意味で、今の日本社会の分断を表しているようにも思う。
――抗議の電話やメールの対象となったのは、主に慰安婦を象徴する『平和の少女像』(キム・ソギョン、キム・ウンソン)と天皇の肖像を含む動画『遠近を抱えて partⅡ』(大浦信行)だったが、批判は半々くらいだったのか? 報道では『少女像』の写真が繰り返し使われたので、そちらの印象が強いが。
実際の抗議の数は、天皇の作品に対するものの方が多かったはず。抗議している人の興奮の度合いも、強かったのではないか。『少女像』については、これまでも慰安婦そのものの問題の中で繰り返しイメージが出ているし、それが何を意味しているかという文脈が分からなければ、見た目としてはショッキングなものではない。だから、(報道などで)よく使われたということはあったと思う。
『遠近を抱えて partⅡ』のような長い尺の映像作品は、放映するには作者の許諾を取らなくてはならず、権利処理が難しい。まして数十秒の放映では作品の文脈が伝わらず、それを承知の上で報道に使うことはしないでしょう。
『平和の少女像』については、外務省が2017年に「慰安婦像」に呼称を統一することをわざわざ決めている。政府の見解として、これを慰安婦像と呼ぶ、と。少女像の見た目から「慰安婦が未成年ばかりだったかのような誤解を招く」という自民党内の意見を踏まえてのことだそうです。
著作者の持つ権利の中に「同一性保持権」というものがあり、作品は作者が作ったそのままに見せなくてはならない。厳密に言えば、タイトルまで同一性保持権に含まれるので、作者の意に反して変更されない権利がある。だから、『平和の少女像』を作者の許諾なしに「慰安婦像」と呼び方を変えるというのは、かなりおかしなこと。一部の歴史認識を代表する、恣意的な解釈のように感じます。ただ、(政府が「慰安婦像」と決めた)その後でも、主要メディアは『少女像』とか『平和の少女像』という呼び方を続けているので、それはマスコミの矜持というか、政府の言っていることが全て正しいわけではないという認識なのだろうな、と思う。
『表現の不自由展・その後』の作品は政治色が強いものが多いとか、プロパガンダだとか言われたが、むしろ一部の人が、あの作品が展示されたことを逆にプロパガンダとして利用したと見えなくもない。それぐらい極端な反応が出た。15年に民間のギャラリーで展示されたときはああした抗議は起きなかったし、「ひろしまトリエンナーレ2020」のプレイベントである企画展『百代の過客』が10月5日から始まっていて、そこには大浦作品なども出ているが、今のところ表だった抗議は起きていない。その違いは何なのか、不思議だ。